長いと思った一週間が過ぎるのは思ったよりも早かった。
陸は掃除当番を早々に済ませ、隆太郎の叫び声を背中に聞きながら学校を飛び出した。
通いなれた経路で駅を降りると、そこはいつもと様子が違った。
いつもより人が多い。それも制服を着ている学生で、「なんだよ」とか「冗談じゃねえぜ」とか口々にぼやいている。
――なんだろ
不思議に思いながらも陸はその間を通りぬけた。早くこの日が来ることを待っていたのだから関係ないことに時間を潰していてももったいない。
署に行くまでの間も、ぞろぞろと学生が歩いてくる。詰襟にブレザーなら紺、緑、灰色と制服の発表会でもできそうなくらい色とりどりの制服の中には見たこと
がない制服も混じっていた。
「ちぇ」
とか
「ふざんけんじゃねえ」
とか聞こえるのは愚痴るような言葉で、陸はなるべく近づかないように遠巻きに歩いた。
何かに巻き込まれるのはもうたくさんだった。
ところどころ途切れながらも駅に向かうだろう制服姿の学生は続いていて、途中からはさすがに何かあったのかと陸は不安になってきた。
学生が立ち寄るようなところが近くにあるわけじゃない。この人波がどこから沸いてくるのか、見当がつかなかった。
いつもより長く思えた道のりの終点には大塚さんが立っていた。
「こんにちは」
陸は駆け寄ると大塚さんに頭を下げた。いつもお世話になっていた。
「陸くん、元気?」
ため息交じりの声で答えてくれた大塚さんは少し疲れたような顔をした。
そして。
「あ、今日は中止だから」
陸の後ろに向かって手を振りながら叫ぶ。
「えー?」
答えたのは非難が混じった声だった。
「先のことはまだ決まってないけど、中止の方向だから」
「えー。なんで?」
答えた声はすぐ後ろで聞こえた。
陸が後ろを見ると制服から高校生だと分かるやつがいた。
「定員オーバー。収集がつかないほど集まっちゃったので、中止」
「えー」
顔を歪め発する声は悲痛な叫びにも聞こえた。
「さあ、帰って!」
大塚さんの声に容赦はなかった。
なんでだよー、と少し渋っていたけれど、不服そうな顔をしながらそいつらは引き返して行った。
簡単に引き下がるんだと思いながら、まあ、治安を取り締まる拠点で問題を起こしたら面倒ではあるのだろうなと思った。
「環くんなら上にいるわ」
ほっとしたような顔をした大塚さんが建物を示す。
「大輔さんは?」
その人に会いたくて来たわけだ。
「上に呼ばれてる。ちょっとやそっとじゃ戻れないかもね」
――え?
「……そうですか」
直ぐに会えると思っていた気持ちはぽしゃっと萎んだ。
「あー、今日は中止よ」
大塚さんはまた叫んでいた。
「じゃあ、上に行ってきます」
陸は大塚さんに声をかけた。
ここにいたら邪魔そうだった。
「あ、そうね」
頷いてくれた大塚さんに軽く頭を下げて、陸は久しぶりの署の中へ入った。
まだそんな季節でもないのに、建物の中は空気がひんやりしているように感じた。
以前はここに毎日のように来ていたのだと懐かしく思った。
階段を上がって二階の中ほどに少年課はあって、その奥にある会議室が目的の場所だった。
中には人がいるのか静かで、小さくノックをすると、「どうぞ」とぶきらぼうな声が返ってきた。
そっと開けると、最初に目に飛び込んできたのは環だった。
椅子をシーソーのようにしながら、不満そうな顔をしていた。最初会った時とは顔つきがずいぶん変わったと思う。鋭い視線は変わらないが眉毛が普通になると
ちょっと怖めの
高校生といった風だ。
「久しぶりだね」
陸が声をかけると、
「おう」
と声が返ってくる。
隣には良太がちょこんと座っていて、頷きながらにこにこしていた。
「二人だけ?」
部屋を見回すと他には誰もいなくて部屋はがらんとしていた。ただ、今まで人が居てそのまま放置したかのように、机と椅子はばらけて乱れていた。
「他はみんな帰った。と言ってもほとんどが返された形だけどな」
環が答えてくれた。
「何があったの?」
広く募集をかけていたという話は聞いていない。様子からすると駅から見かけた学生はみな目的地がここらしい。ざっと百人は超えていたんじゃないかと思う。
「口コミってやつ? ただで講義が受けられて成績アップ間違いなし、東大も夢じゃない、みたいな」
「え」
それはまたすごい宣伝文句だと思った。
「ずいぶん広がったみたいだな。俺達が来た時にはここに納まりきってなかったぜ」
「はあ?」
それなら、自分が見た人は一部だったのかなと陸は思った。
「お前、もてるな」
環がにやっと笑う。
「そんな……」
それは自分目当てに大勢の人が来たという意味に取れた。
けれど、環には元々実力があってきっかけが必要だっただけだし、良太にしても一教科の狭い範囲で少しコツを教えただけに過ぎない。
口コミというから、きっと尾ひれがついて誇張された内容になったのだろうと思った。
「第一、今度は僕も生徒で……」
大輔は教えてくれる人を探したと言った。
「俺の知ってるやつらはお前に教えてもらうつもりでいたぜ。講師は別のやつだって聞いたらさっさと帰っていったよ」
環が大きな声で笑う。
良太は相変わらずにこにこしていた。黒ぶちめがねもそのままで、夏の前に時間が戻ったような気さえした。
「俺はお前は絶対来ると思って待ってたんだけどな」
環に、にやっと意味ありげに見られて、陸は思わず視線を伏せた。
「うまくいってんの?」
そう聞かれて自然に顔が緩んでしまい、陸はごまかすようにゆるく頭を振った。
「え? 何?」
良太がきょとんとした声を出す。
「お前は知らなくていいんだよ」
環はあごをしゃくって、良太に目線で黙れと言っているようだった。
「えー」
不服そうな声をあげたものの良太は少し口を尖らせながらもその後何も言わなかった。良太は相変わらず環には逆らえないんだと陸は思った。
「やつはこってり絞られていそうだぜ」
環が声を潜める。やつが誰かはすぐに分かった。
「大輔さんは悪くないのに……」
ぼやきがでる。
誰が悪いわけでもない、たぶん。けれど、起こってしまったことに責任は存在する。
「まあ、ここはお流れなんだろうな」
環はため息をひとつつく。
――お流れ?
それは大輔と会えるたったひとつのチャンスがなくなったということだった。