真っ暗な中でベルの鳴る音がしていた。
――何?
沈みこんでいた意識が浮き上がってきて、停止していた思考能力が戻ってくる。
陸は自分がベッドに横になっていることを感じた。
――目覚まし時計の音?
でも違う。自分が使っているものは電子音で、ジリジリした煩い音じゃなくて、ぴぴっぴぴ、と頭に響く音だったはずだ。
――なんで?
陸が目を開けると、すぐそこに大輔の寝顔があった。
どきっと心臓が弾んで、そういえば泊めてもらったのだと陸は思い出した。
「あ、手……」
離れていたら文句を言ってやろうと思っていた。
なのに、手はぬくもりに包まれていて、しっかりと大輔の手の中にあった。
――ずるいよ
嬉しいのに文句がでる。
きゅっと手を握られて大輔を見ると、いつ起きたのか大輔は笑っていた。
「おはよ」
声をかけられて、
「……おはよ」
他に言うこともなく陸は素直に言葉を返した。
寝起きの頭は鮮明ではなくて、まだどこか夢の中にいるようだった。
布団の中は温かくて、すぐ近くに大好きな笑顔があって、手は大きな手に包み込まれていて、まだこのままで居たくて、だから目を閉じたら、額をこつんと小突
かれた。
「もう、朝だぞ」
目を開けるとまた大好きな顔がそこにある。
「もう一分だけ」
そう言って、陸は両手を大輔の背中へ回した。
「手を離したのはお前だからな」
大輔が確認するように言い、
「ホントに、一分だけだぞ」
大きい手が身体をぎゅっと包み込んでくる。
幸せだと思った。
なのに。
「ほら、一分」
まだ数秒しか経ってないよと思うのに大輔が身体を離す。
「まだ早いよ」
でたのは文句だった。
大輔が許してくれた時間はまだあるはずだった。
けれど、それは。
「早く起きろ」
大輔に却下された。
仕方なく陸はもぞっと身体を起こした。視界に入った目覚まし時計はゆっくりできる時間じゃないぞと主張していた。
「朝飯、どうする?」
大輔がパジャマを脱ぎながら聞いてくる。
「ん、コンビニでおにぎりでも買って学校で食べるよ」
実際、そうしているやつもいた。
「そっか」
大輔が早く支度をしろとばかりに目配せしてくる。幸せな時間が早く過ぎるのは神様が意地悪をして時計を早くまわしているんじゃないかと思えた。
「しばらくここには来るな、と言っただろ。約束が守れないなら鍵を返してもらうぞ」
大輔がネクタイをしめながら言う。
「だって……」
陸は素直に従いたくなかった。
「何か言いたいことがあるのか?」
大輔が視線を向けてくる。
「ここで、二人きりで会っているかもしれないと思ったら、落ち着かない……」
言わなければきっと分かってもらえない。
言わずに後悔しても遅い。
大輔を信じていないわけではないけれど、元恋人だった二人なら何かのきっかけでそういう関係になることはありだと思う。
「手は動かせ」
大輔はそう命令してきて、
「ここでは会わないよ」
ため息交じりに言う。
「だって、向こうが来たら?」
合鍵を持っているのだから、部屋で待っているのもありだ。
「来ないように言うさ」
「それでも来た、でしょ?」
それは事実だった。
大輔が困ったように大きく息を吐く。
大輔の所為ではないと分かっていた。けれど、文句を言う相手は大輔しかいない。
「じゃあ、どうすればいいんだ。どうすれば、お前は納得する?」
大輔に問いかけられて、陸は答えられなかった。
あの人とさっさと別れて欲しい――そう言ったところで大輔にすればそのつもりだし、自分が相手に直接言ったところでどうにもならない。
「俺は――」
大輔は言いかけた言葉を一旦切った。
「俺の知らないところでお前が悲しい顔をするのは嫌なんだ。ずっと傍にいてやれればいいけれど、それはできないから」
近づいてくると、締め終わったネクタイを直してくれる。
「できるだけ早く話はつける。だから、俺を信じてくれよ」
掠めるようなキスをしてきた。
「絶対?」
信じて欲しいというなら、言葉だけでも欲しかった。
「お前に嘘は吐かないよ……それは絶対だ」
ホントに?
そう心の中で呟いて、大輔が絶対と言ってくれたことが陸は少し信じられなかった。たぶん大輔が一番使いたくない言葉だと思う。
でも、それを自分のために言ってくれた。
「……分かった」
そう言うしかなかった。
言って欲しかったけれど、一番使いたくないだろう言葉を言わせてしまったことを陸はちょっと後悔した。
「今度こそ、約束だぞ」
「うん」
大輔を信じるしかないのだと思う。
「合鍵取り上げるからな」
「う……、うん」
それは、素直に返事をしたくはなかった。
でも、無理やり取り上げることなんてできるの? と心の中で呟いて、絶対できないよと陸は結論をだした。
「じゃあ、行くぞ」
大輔が玄関を示す。
「うん」
立ち上がると、陸は鞄を持った。
あまりぐずぐずしていたらもう泊めてやらないと言われかねない。
朝の住宅街はいつもとは違っていた。どこにそんなにいたんだと思うほどの人が駅に向かって歩いていた。
「今度会えるのは勉強会?」
できれば他にも約束できればいいのに、と思う。
「そうだな」
大輔は即答だった。
ちょうど一週間後だ。
「それまでに決着ついてるってことは?」
ないとは言えない。
「ないだろうな」
これも即答だった。
「そう……」
ちょっと残念だと思った。
でも、大輔は絶対と言ってくれたから、信じられるし、信じなきゃいけないんだと陸は思った。