「いいわよ。お茶なら私がいれるわ」
後ろから早紀が声をかけてきたと思ったら、陸はやかんを取られていた。
「ね。邪魔したら大輔に怒られるし」
は?
なら来なくていいのにと思いながらも、流し台の上に置いていた早紀が買ってきてくれたものが陸の目に入った。
「じゃあ、お願いします」
素直にお願いして、陸は奥の部屋へ戻った。そして、筆箱から定規を出すと台所へ戻った。
「あ、何にする?」
早紀が聞いてくる。
「紅茶をお願いします」
陸が来るようになる前は何も置いてなかったけれど、飲み物くらい欲しくなるだろうと、大輔がインスタントコーヒーと紅茶のティバッグを用意してくれた。
陸は、定規を洗うと布巾でぬぐって、早紀が買ってきてくれたものに、押し当てた。
「何をするの?」
早紀が後ろから覗き込んでくる。
「三等分」
陸が答えながら力を入れると、定規はきれいに吸い込まれていった。
三つに分けて、一番大きそうなやつをラップにくるみ、残りを皿に乗せた。
「どっちがいいですか?」
早紀に聞くと。
「あっち」
わざわざ取り置いたほうを指す。
「あれは……」
大輔において置こうと思ったものだった。
大輔が帰ってくるころはもっと冷えていて、あまり美味しくないかもしれないけれど、自分だけが食べてしまうことに引け目を感じた。
実際、見ていないのだから何を置いておいてもいいはずで。
でも。
「冗談よ」
早紀が笑う。
「大輔は愛されてるのね」
茶化すように言われて、何も言えなかった。
「だから、大事にされるのよね」
「そんな……」
自信はない。
「見習わなくちゃね」
早紀は言いながら陸から皿ごと取った。
「温めて持っていくから、テーブルで待ってて」
「あ、はい」
これは譲ってもいいと思う。
大切なものは他にある。
話題のハンバーガーは一口食べたら、口の中に肉汁が広がった。
「わっ」
パテが厚いからか外側はカリカリでも中は柔らかくて、舌触りも滑らかだった。
「どう?」
早紀に聞かれて。
「美味しい!」
陸は素直に答えていた。
「そう、良かった」
早紀は言うと、自分も一口かじり、「んっ」と声をあげていた。
「……昨日は大輔に会った?」
窺うように聞いてくる。
まあ、それが目的なのかなと陸はうすうす思っていた。
「うん。帰ろうと思ったときに丁度、帰ってきて」
というか、様子を見に来たようだった。
改札まで送ってくれて、最後にちらっと見たとき家とは反対方向へ行った気がする。
「それで?」
興味津々といった風に、早紀が身を乗り出してくる。
「あ、言われたとおりに言ってみたけど……」
そう、そのまま。
「何か言ってた?」
「……僕が気にすることじゃないって……」
実際に言った言葉は違うけれど、まあ、結局はそういうことだろうと思う。
「あっ、そう」
途端に、早紀が落胆した顔をする。
「喧嘩でもしたんですか?」
少し鎌をかけてみた。
「喧嘩っていうか、誤解っていうか……」
ぶつぶつ言いながら、早紀が顔を伏せた。
「あいつ仕事熱心で、ドタキャンなんてことなんて、一回や二回や三回や四回なんてはるかに超えて、いい加減呆れてきて……男友達と遊んだりしてて、そのと
きに、少し見せ付けてやろうなんて思って、大輔がいそうなところに行ってみたら、どんぴしゃ!向こうは女子高生なんて連れてたのよ」
「えっ!」
一瞬驚いて、そういう仕事だっけと陸は思い直した。
「ねえ、驚くわよね。向こうも何も言えなかっただろうけど、こっちだって固まっちゃったわよ。でも、それはそれで終わった。仕事だっていうのも納得した
し、向こうだって約束破りまくりなのは分かっているから何も言わなかった。で、少しだけだけど、時間作ってくれるようになった。でも、そのうち、一人の子
を気にするようになったの……環って名前聞いたら、女の子だって思うわよね」
問いかけられて、陸は答えられなかった。
環なら知ってる。大輔が気をかけていたことも。
「段々また前みたいに戻っていって、ほんと会えなくて、いらついていて、前のことが頭に残っていたし、私との約束破って環って子といるのかなって思った
ら、ドタキャンしてきた電話でつい言っちゃったのよね。女子高生じゃあきたらず、中学生にまで手を出してるのって」
――あ……
陸は思わず声を呑んだ。
「環は男だって。お前はそんな風に見てたのかって。それから、気まずくなって……まあ、現在に至るってやつ?」
早紀がため息をつく。
陸は何も言えず、バーガーを頬張った。
「どうせ、元通りになったとしても、恋人らしいことなんて、ほとんどできないのにね」
早紀が独り言のように呟く。
「じゃあ、どうして、よりを戻そうなんて」
その気になれば彼氏の一人や二人が簡単にできそうだと思った。
「君は彼女いる?」
「あ、いえ」
彼女はいない。
「そうよね。彼女がいたら、彼女のところに行くわよね。一つ教えてあげる。最初に付き合う人は大事よ」
「なぜですか?」
今まで付き合った人はいない。
「どうしても比べちゃうの」
――あっ!
陸にも思い当たることがあった。
「ほんと小さな、なんでそんなことが気になるのってことすら。例えば、大輔は何でもポケットに入れてバッグは持ち歩かないの。だから、セカンドバッグを
持っている人はそれだけで、気になるのよ。ちょっとした仕草や反応や、色々……気が付くと比べてるの。大輔ならって。飲んだコーヒー缶をそこいらに置いて
いこうとする人なんて、それだけでもうさようならって気分になる」
そうだ――と陸は思った。
自分にも付き合った言えるかもしれない人がいた。相手にはもう既に恋人がいたけれど――。
「もう他の人を探すのは諦めた。でも、恋人だとまたやっていけなくなるかもしれない。でもね、いい方法があるじゃないって思ったの」
「何ですか?」
――いい方法?
「結・婚」
早紀の言葉に陸は一瞬息が止まった。
「大輔はああいう人だもの。絶対浮気なんてしない。そう思うでしょ?」
問いかけられて。
「そう、でしょうね」
答えながら陸は顔を伏せた。心臓がばくばくしていた。大輔が結婚するなんてことは、かけらも考えていないことだった。