まさか、と思いながら陸が部屋の入り口から様子を窺っていると、玄関のドアが開いて大輔が入ってきた。
「……おかえりなさい」
とりあえず、声をかけた。
「時間分かってるのか?」
大輔が眉をひそめる。
「……色々あって……」
言い訳が先にでた。
いつもと違い、大輔の表情は険しかった。
昨日から大輔の様子が変だと思う。それは、たぶんというより絶対早紀のことが原因だ。
「あいつが来たのか?」
そう聞いてきて、大輔が台所へ視線を向けた。
きれいに片付けられていて、大輔はそれで分かったと思う。
「うん」
素直に答えた。嘘をつく理由はない。
「……邪魔するな……と言ったのに」
大輔がぼそぼそと呟く。
「でも、片付けに来てくれたんだよ」
考える先に言葉がでていた。
なんでこんなこと言っているんだろうと陸は自分で思った。
「それだけか?」
大輔にまっすぐ見られて、陸は顔を伏せた。
「何か言ってきたのか?」
確かに言ってきたことがあって、でも、それを言っていいのか躊躇った。
「何か言ってきたんだな」
大輔が近づいてくる。
「陸」
大きな手が頭を撫でてくる。
黙っていることが辛くなった。
「……反省しているようだから話を聞いてあげて……って言って欲しいって」
早紀はそう言った。
「まったく……」
手は離れて、やがて大きなため息が上から聞こえた。
これじゃ、彼女の思惑からはずいぶん離れている。
けれど、応援なんてできるわけがない。
だけど。
「カレー、美味しかったよ」
告げ口してしまったようで心苦しかった。
「で、お前もそう思うのか?」
大輔に聞かれて、陸はぶんぶんと頭を振った。
話なんて聞いて欲しくないし、会っても欲しくない。
「でも、カレーは食べてあげて」
冷蔵庫に入れていった分は大輔へだと思う。無駄にしてしまうことは気が引けた。
「お前を送っていく方が先だな」
大輔がため息交じりに言った。

昨日、大輔の隣は違う人が歩いていた。そこを今自分が歩いている。
「しばらく、うちには来ない方がいいんじゃないか?」
大輔がぼそりと言った。
「なぜ?」
陸は大輔を見上げた。
「落ち着いて勉強できないかもしれない」
「それは――」
確かに早紀はまた来る気まんまんのようで。早紀が来たら落ち着いて勉強なんてできない。
「でも、邪魔しないって言ったよ」
確かに。
「でも、邪魔されたんだろ?」
否定はできなかった。
「今度は、一番になるんだろ?」
隆太郎に取られた位置を取り返すのは、確かに目標ではあった。
「それに、来週から署(うち)へ来るんだろ? そのとき会えるだろ?」
「うん……」
会えるのかな? と少し疑問はある。
けれど、会えたとして、多数の人の前でできるのはたわいもない話ぐらいだ。
「なるべく早く決着はつけるから」
「……うん」
それは、大輔が自分を選んでくれたということだと思った。
「うん」
陸はもう一度頷いた。



大輔の部屋のドアの前で、陸は少し躊躇った。
昨日しばらくは来ないと了承したかたちだったのに、大輔の家に寄るのは日課のようになっていてまっすぐ家に帰ることが物足りなく感じた。
それと――。
せっかく来たのだからと鍵を開けると、陸は冷蔵庫に直行した。
中を覗いて。
「あ、ない……」
陸はぽつんと言葉がでた。
早紀がラップをかけていったカレーを大輔は食べたらしい。
食べてと言ったのは自分なのに、途端に陸は不安になった。
大好きだった、らしい。
食べたら、以前のことを思い出すかもしれない。
「何やってんだろ……」
まるで応援しているみたいだと思う。
けれど、陸も早紀と同じ立場だったときがあった。
相手には恋人がいると分かっていても、抑えられない気持ちがあった。
その気持ちが分かるから、邪険に扱うこともできない。
「僕が言ったからだよ……」
陸は自分を納得させた。
大輔は自分が言ったことを聞いてくれただけだ。
そして。
「……どうしよう」
大輔は来ないだろうし、早紀も三日続けては来ないだろうと思う。
けれど、すぐに帰ることも躊躇った。
九月に前期期末試験が終わって、今はのんびりしている時期でもあった。
そんなことはないと思いながらも、もしかしたら、自分には来るなと言っておいて二人でこっそり会う約束なんかをするかもしれないと思ったりする。
早紀の話からも大輔の話からも、決着がついたとは思えない。
世間話ではないのだから、隔離された空間の方が話はしやすいはずだ。
陸は奥の部屋へ行って窓を開けると、テーブルの前に座った。
家に帰った方が落ち着かない気がした。

「えっと……」
年表を書き写していると、耳にかつんと甲高い音が入ってきた。
――え?
聞き覚えがある音だと思う。
それも好ましくない方向で。
予想通り、がちゃがちゃと鍵を開ける音がした。

「陸くん、いる?」
声をかけられて。
玄関にある靴で分かったんだろうにと思いながら。
「はい」
返事と共に陸は顔を出した。
「良かった」
そう言った早紀は、部屋に上がると冷蔵庫に直行して中をあけていた。
ビニール袋を持っていたから、また何か買ってきたのかと思ったけれど、違っていたらしい。
冷蔵庫のドアを閉めても、早紀の手にはビニール袋がそのままあった。
「いいもの、買ってきたのよ」
早紀が陸の方へビニール袋をかざす。
それは、この間大輔が買ってきてくれたものと同じだった。
「もしかして?」
陸の好みを知らないこの人がいいものと言うのなら今話題になっているものかもしれないと思う。
「今、なかなか手に入らないらしいじゃない」
早紀がにっこりと笑う。
袋の中に手を入れて、早紀が取り出したものには、大輔も母も買えなかったとぼやいていた商品名がプリントされていた。
「あ……」
大輔がぼやいていたのは、つい二、三日前のことだった。
「すごい……」
思わず声がでた。
「でしょ。最後の一個だったけどね」
早紀が陸の前に差し出す。
「僕に?」
陸は少し意外だった。
「そうよ」
早紀は当然といった顔をした。
「もう冷めちゃってるだろうから、味は少しおちるかも。温めなおした方がいいかもね」
早紀が言う。
「あ……」
陸が出す手をためらっていると。
「遠慮しないで」
さらに差し出してきたので、おそるおそる手を出して、陸は受け取った。
早紀が言ったとおり、渡されたものはもうあまり温かくなかった。
「お茶、入れてきます」
陸は、受け取ったものを持ったまま、立ち上がった。
そして、流しでやかんに水を入れながら、自分は何をやってるんだろうと思った。

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