大輔の部屋には誰もいなかった。
それはいつものことだ。休みの日でさえ、半分はいない。

「お邪魔します」
一応挨拶して、部屋にあがる。
まず最初に、窓を開けて空気を入れ替え、簡単に片付けて、二日に一度は掃除機をかけて、テーブルの前に座る。
それが陸の日課だった。
ただ、今日はいつもと部屋の雰囲気が違っていた。
というか、炊飯器があって、コンロの上にいつもより大きいなべがでていた。
もしかして、と炊飯器の中を覗くと食べた形跡はなく、ご飯がほかほかしていて、コンロの上のなべを開けるとカレーがあった。
ついでにと冷蔵庫を開けると、ケーキらしい箱が入っていて、すくなくともあの後彼女は部屋には来ていないのだと、陸は思った。
かといって、それがよりを戻していない証明にはならない。

気にはなる。
でも、大輔に聞いたとしても、気にすることじゃない、と一喝されてしまうと思う。
「気にならないわけないじゃん」
陸はぼそっと呟いた。
「何が、振られた、だよ」
それは、大輔に気持ちがあったということだ。
テーブルの上にノートと問題集を開いて、けれど、やる気にはなれなかった。
空想でしかなかった大輔の元の彼女が突然すとんの目の前に落ちてきた。
にこっと笑って――。


ぼんやりしていたら、突然がちゃがちゃと鍵を回す音が聞こえた。
え?
時計を見ると、六時を過ぎていた。
――大輔さんじゃない?
おそるおそる玄関を覗いてみると、予想は当たった。
「あ、こんにちは」
にこっと笑ってくる。
――なんで?
信じろということは、ちゃんと別れるということだと理解していた。
ということは、もう彼女は来ないはずだ。
「あ、やっぱり」
彼女は炊飯器の中を覗いて、ため息をついた。
「カレー、一緒に食べよう」
声をかけてくる。
それは、問いかけではなかった。

五分後には、陸は彼女とテーブルで向かいあっていた。
「いただきます」
彼女は手を合わせると、スプーンをとる。
「食べよう?」
スプーンをカレーに差し入れながら、彼女は誘うように言った。
「……いただきます」
小さく頭を下げて、陸もスプーンを手に取った。
一口、口に入れて。
「美味しい」
勝手に言葉がでた。
「ホント? 良かった」
彼女が笑う。
「後で、デザートにケーキ食べようね」
彼女はスプーンを口へ運びながら言った。

「大輔さんはいいの?」
陸はちょっと探りを入れて見た。
昨日、どんな話をしてどんな結論がでたのかを知らない。
「いいのいいの。今日来たことは内緒ね」
人差し指を口に当てる。
「だってさ、絶対何もしてないと思ったよね。そのまま腐らせるのがオチ」
それはそうだと思う。
食事はたいてい外回りの中で済ませてしまうらしい。
家ではビールを飲むくらいのことで、おつまみていどのものしか置いていない。朝食も駅のうどん屋で済ませているみたいだった。
「昨日は誕生日だったのに、最悪」
彼女が口を尖らせる。
「お姉さんの?」
どう呼んでいいのか分からなかった。名前すら聞いていない。
「わあ、うれしいな。口の悪いガキにはおばさんって呼ばれちゃうのよ」
まったく――といいながら、カレーを口に運び。
「でも、お姉さんも恥ずかしいわね。早紀って呼んで」
そう口にした。
「早紀、さん?」
「そう」
「大輔さんとは付き合い長いんですか?」
ちょっと突っ込んでみた。
大輔よりもずっと聞きやすそうな気がした。
「うーん、知り合ってからもう十年近くなるかなあ」
そう言い。
「ながっ」
自分で突っ込みを入れていた。
悪い人ではないのだろうな、と陸は思った。

「大学の時に知り合って、それから付き合いはじめて。今はちょっとお休みしてるけど」
――お休み?
振られたと大輔は言った。
「また。復活したいなあ、と思ったのに」
早紀は考えるように宙を見る。
「昨日はあなたがいたことも予想外だったけど、行くって電話はしたけど大輔が仕事を抜け出してきたことも予想外で、おまけに、どなられたことだって初めて だったし……うーん、何がなんだか……」
呆れたように言う。
「それに、話を聞いてくれようともせず、合鍵返せの一点張りで」
早紀が続けた言葉に、陸はそうだったのか、と思った。
「返せって言われてすんなり返すくらいなら、もうとっくに捨ててる」
それはそうかもしれないと思った。
振った、らしいから。
「人って、しろって言われると反発したくなるものだと思わない?」
早紀が陸を覗き込むようにする。
「え、そう、かな」
他人から強制されたことは覚えがなくて、分からなかった。
「返せって言われたら余計返したくなくなるし。邪魔するな、って言われたら邪魔したくなるわよね」
早紀が同意を求めようとする。
――もしかして、これは邪魔ってこと?
陸が答えに困っていると、早紀は大声で笑いだした。
「ほどほどにしとく。大輔を本気で怒らせたくないから」
テーブルに手を付くと、早紀は立ち上がった。
「ケーキ、もってくるわね」
言うなりすぐ後ろを向く。
この人も――と思う。
同じ人を好きな相手と向き合うのは不思議な感覚だった。

ケーキはシンプルなイチゴのショートケーキで。
「これ、大輔が好きなのよ。意外でしょ?」
早紀がうれしそうな顔をする。
――好きなんだ
思わず頭にインプットしていた。
「……お誕生日、おめでとうございます。って僕が言うの変かな……」
誕生日だと言っていたから、それでケーキだったのだと思った。
「ううん。ありがとう。といっても年取るのがうれしい歳でもないけどね」
イチゴを口に入れて、すっぱいという顔を早紀はした。

できれば、早く帰って欲しい人で。
できれば、もう二度と来て欲しくない人で。
できれば、大輔とかかわらないで欲しい。
けれど、本人を目の前にすると、そんなことは言えない。

「ひとつお願いがあるんだけど」
早紀の言葉に。
「何ですか?」
陸は聞いてしまっていた。
「大輔に取り持ってくれない?」
――は?
聞かなきゃ良かったと思っても、後の祭りだった。
「僕なんかじゃ……だめですよ」
できるわけがない。
「やってもいないのに、諦めるなんてことないでしょ?」
「でも……」
言う相手を間違ってるよ、と思う。
「反省してるみたいだから、考え直してあげればって言ってくれるだけでいいから」
聞きもしないのに、具体的案まで出してくれた。
陸が答えを躊躇っていると。
「ね。今度また美味しいケーキ持ってきてあげるから」
了承したわけでもないのに、買収されたことになっていた。
「あ、いいです。大輔さんに知れたら……」
呆れられるのが落ちだ。
「言わなきゃばれっこないじゃない」
「でも……」
陸が渋ると、早紀は呆れたようにため息をついた。
「分かった。その件は別で。でも、今度買ってきてあげるね」
にこっと笑われて、陸は答える言葉もなく、呆然とした。
困る、と思う。
確実にあと一回は来るつもりらしい。

早紀は残ったカレーを皿に移してラップをかけて冷蔵庫に入れ、きれいに片付けると。
「大輔と会うとやっかいだから帰るわね」
と言って、部屋を出て行った。
「はぁ――」
ひとつため息をついて、時計を見ると七時は過ぎていた。
「まずっ」
でも、そんな丁度に帰ってくるわけがない。
少し休んでから帰ろうと陸は思った。
何かをしたわけでもないのに、すごく疲れた気がする。
――仲を取り持てって?
知らないのだから仕方ないけれど、ありえない相談だ。
あまり遅くなって大輔に会ってしまうと、自分もまずい。
「帰ろ」
テーブルの上を片付けて陸が立ち上がると、かつんと誰かが外階段を上がってくる音が聞こえた。

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