「……家にまで?」
声を先に出したのは、部屋に入ってきた女の人の方だった。
栗色の長い髪を後ろでアップにして束ねている。
手には手提げのビニール袋を二つ提げていた。
大輔と同じくらいの歳?
化粧栄えするだけだよ、と思いながら、きれいな人だと陸は思った。

「あ、あの……」
誰なのか聞いていいのか、陸はためらった。
家族の誰かかもしれないと思う。
大輔の家族構成を知らなかった。お姉さんか妹かもしれない。
もしそうなら、自分の方から名乗った方がいいのかもしれない。
「僕……」
けれど、大輔がいないときに部屋に上がりこんでいることをどう説明すればいいのか。
どんな関係かと聞かれたら、どう答えたらいいのか分からない。
友達――なんていうのは絶対変だ。

「公私混同はよくないわよね」
まるですべてを知っているような物言いで、彼女は言った。
自分の家のように靴を脱いで上がると、台所の流しの上に袋を二つ置いた。
中が透けて見える一つは四角い箱が入っている。
ケーキ?
それしか陸には思い浮かばなかった。
流しの蛇口をひねると、手を洗う。
そして、振り向くと。
「こんにちは。お会いするのは初めてね」
にこっと笑った。
「あ……こんにちは」
とりあえず、挨拶をした。
「大輔から話を聞いていたことはあったけど、まだつながりがあるとは思ってなかった」
――え?
「それも、家に来るようになってたんだ」
視線を伏せると、自嘲するように笑う。
「仲良くしてね。ちょくちょく会うことになることになりそうだから」
彼女は顔をあげ、陸を見てくる。
「あ……」
訳が分からない。
何かを勘違いしているのかと思っても、迂闊なことは言えないと思った。大輔の話と辻褄が合わないとまずい、たぶん。
「何かしてたの?」
彼女は奥の部屋へ行き、陸がやっていた問題集を覗き込んだ。
「ふーん。難しそうなのやってるのね」
ちらっと見ただけでまた戻ってくる。
「大輔が帰ってきたら、ケーキ食べようね。それとも、ケーキは嫌い?」
聞かれて。
「あ、嫌いじゃないけど、大輔さんはいつ帰ってくるか分からない、ですよ?」
大輔に会いに来たらしい。他の理由は考えられないけれど……。
他の部署に駆り出されると大輔は一晩帰ってこないこともあるみたいだった。
「ん、そうよねえ。まあ、私は気長に待つけど、あなたはいつもはどうしてるの? 」
「え、あ、時間になったら帰ります」
「じゃあ、そうして」
彼女が言った。
言葉は柔らかかったけれど、陸はもやっとしたものを感じた。
言われなくてもそうする。
初めて会った人になんでそんなことを言われなきゃいけないんだろうと思う。
「今から、カレー作るから、時間が大丈夫だったら食べていって」
言い方がまるでこの家の主のように聞こえた。

「あ、はい……」
不満に思いながら、それを陸は言葉に出せなかった。
――誰?
それが頭から離れない。
考えもしなかったけれど、大輔の身近な人について聞いておけばよかったと思った。
親元は遠いと聞いていたから親戚とか兄弟も遠くにいるような気がしていたけれど、こちらへ出てきていてもなんら不思議はない。
とりあえず、陸はテーブルにつくと、シャーペンを持った。
大輔に連絡した方がいいのかな、と思ってもここには電話がない。学校で禁止されている携帯電話は持っていなかった。
しばらくすると、台所で水を流してお米を研いでいるような音がして炊飯器は稼動する音がして、とんとんとまな板で何かを切っているような音が聞こえてく る。
不思議な感覚だった。
いつも誰もいない大輔の部屋には自分以外音をたてるやつはいない。
陸が手を動かせないままでいると、カレーの匂いがしてきた。
何の戸惑いもなく台所仕事をこなしていくあたり、初めてなんてありえない。だいたい陸はこの家に炊飯器があったこと自体知らなかった。
棚の中まで探るようなことはしなかったけれど、表に出ていたのはお湯を沸かすためのやかんとラーメンを作るための小さな鍋くらいだった。
――誰?
それしか考えられない。
ケーキといえば思いつくのは、クリスマスと誕生日くらいで、大輔の誕生日は五月だと聞いた。十月の初めにケーキを食べるようなイベントがあるとは思えな かった。
時計を見ると三十分が過ぎていて、このまま自分は帰らないといけないのかと思う。
疑問を持ちながら?
あの人はこの部屋で大輔を待つのだろう。
大輔が帰ってきたら、二人きり?
陸は大きく息をつくと、立ち上がって部屋の入り口まで行った。
エプロンをして台所に立つ彼女はカレーの味見をしていた。
そして。
「んっ」
満足したような声を出す。
「あの……」
陸が声をかけると、彼女は驚いたように振り向いた。
「何?」
片手にお玉を持って、まるでこの家の主婦みたいだった。
「あの……」
なんて聞けばいいのだろうと思う。
単刀直入に聞いていいのかな?
でも、人に聞く以上、自分のことも言わないといけない?
「あ、いい匂いでしょ。もうすぐでご飯炊き上がるから、先に食べる?」
先手を打たれた。
「あ、いえ、そうじゃなくて……」
確かにカレーはいい匂いでお腹も空いていて、でも、そこにだまされていてはいけない。
「大輔さんとは、どういう……」
言いかけて、陸は言葉を濁した。少しためらいがあった。
「あ、そうね。自分から言うのもなんだから、大輔から聞いて」
「……そうですか」
勇気を出したつもりだったのに、結果は芳しくなかった。
大輔に聞けるなら、聞きはしない。
携帯の番号は知っていても、無闇にかけてはいけないと思う。いつ家に帰ってくるのかも分からないから、結局かけることはできないでいた。
このまま次ぎに会えるときまで疑問を持ち続けていないといけない。
どうしようと思って。
――そうだ
帰りに署によってみようかと陸は思った。
大輔はいないまでも、大塚さんに聞けば家族構成は分かるかもしれない。

――そうだよ
少し気が楽になって、陸がテーブルに戻ろうとしたら、かんかんかんと忙しい足音が聞こえてきた。

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