この間と同じように、階段はかつんかつんと高い音を響かせた。
「どうぞ」
大輔はかぎを開けたドアを手で押さえていてくれた。
「お邪魔します」
言いながら一歩入った途端、陸はむっとした熱気を感じた。
「今、窓開けるから」
玄関で立ち止まってしまった陸を追い越して、大輔が部屋へ入っていく。
奥でがらっと窓が開いた音がしたけれど、空気の流れはあまり感じなかった。
「少し空気を入れ替えたら、エアコン入れるからな」
姿は見えなかったけれど、大輔の声がした。
「うん。いいよ、気にしないで」
陸も靴を脱いで部屋へあがった。この部屋に入るのは二度目だった。
奥の部屋に行くと、大輔が窓外を眺めていた。
「適当に座って」
陸に気が付き声をかける。
「ん」
とりあえず、大輔に向き合うように陸は壁を背に腰を下ろした。
「風が入らないな」
大輔は呟くように言うと、エアコンのリモコンを手に取りスイッチを入れて、窓を閉めた。
モータが回る音が聞こえて、エアコンが風を送り出してくる。
「すぐに涼しくなるだろうけど、汗かいただろ? シャワーでも浴びるか?」
何気ない言葉なのに、ひっかかった。
――シャワー?
「安心しろ。何もしないから」
大輔がふっと笑う。
まるで心の中を見透かされているようだった。
けれど、望んだのは何もされないことじゃない。
「じゃあ、シャワー浴びさせてもらってもいい? 」
「ああ、Tシャツと短パンでよければ出してやるよ」
「うん」
陸が立ち上がろうとすると、立っていた大輔が手を出して引いてくれた。
一緒に――といって来てくれる人じゃないんだろうな、と思う。
大人だから?
自分ばかりが熱くなるようで、もどかしかった。
陸の後でシャワーを浴びた大輔はバスタオルで髪の毛をがしがしと拭いていた。
テーブルの上にはおにぎりとポテトチップの袋が転がっていて、陸の前にはお茶のペットボトルがあって、大輔の前には缶ビールがあった。
大輔がプルトップを開ける。
前にもこんなことがあったと思った。
あのときは、大輔にビールを飲ませなかった。
ビールをごくりと一口飲み込むと、大輔は大きく息をついた。
「おいしい?」
陸はビールの味をまだ知らなかった。
「ああ、暑い時は特に、な」
大輔が笑う。
「普通の高校生はもう飲んだことあるだろ」
聞かれて。
「ううん。僕はチューハイしか飲んだことがない」
そう陸は答えた。
それも、違反には変わりない。
「聞かなかったことにしとくよ」
大輔は、もう一口ビールを口に流し込んだ。
なんだ聞かなかった振りができるんじゃん、と思った。
「でも、もう飲むなよ」
大輔は視線を伏せ、呟くように言った。
気にはなるらしい。
「ねえ」
陸が声をかけると。
「ん?」
大輔が視線を向けてきてくれる。
「合鍵が欲しい」
あれをもらうのは自分であって欲しい。他の誰かなんて絶対嫌だ。
「だから――」
大輔が困った顔をした。
理由は言っただろ、と言いたげだった。ならばなぜ作ったんだろうと思う。
「帰ってきてくれなくていいから」
帰ってきてくれれば嬉しいけれど、そうじゃなくてもいい。
「じゃあ、お前の望みは何? 」
大輔が怪訝そうな顔をする。
「何も望んでない。何も、は言い過ぎかもしれないけど。でも、このままだと今度いつ会えるか分からないでしょう?」
陸が大輔を見ると大輔は視線を伏せた。顔には約束はできないと書いてあった。
大輔に会いたくて、職場に通った時、会えたことなんて数えるほどだった。
「だから、大輔さんにつながるものを持っていたいんだ」
ここは帰ってくる場所で、その気になれば絶対会える場所だ。
大輔は意外そうな顔をした。
「それだけ?」
「ううん。来て、勉強しててもいい? なんかはかどるような気がする」
「本気で言ってんのか?」
大輔が目を細める。
「うん。ここにいると、大輔さんが傍にいてくれるようで安心する。きっと……」
実際、一人でいたことはない。大輔が居てくれた。
ふいに表情を崩すと、負けたというように大輔は笑った。
「お前には、敵わないな」
半分呆れたように言い、ビールをもう一口飲む。
「くれるの?」
陸が大輔の顔を覗き込むようにすると。
「ああ」
大輔は缶ビールを置いて、頭を撫でてくれた。
「帰ってきてくれなかった、なんて文句言うなよ」
「うん」
前の彼女がそんなことを言ったのかな、と思う。
その言葉は言っちゃいけないんだ、と思った。
目の前に大輔の顔があって、陸が目を閉じると大輔の腕が背中へ回されて、唇を塞がれた。
陸が腕を首に回して薄く口を開けると、入ってきた舌が優しく口内を撫でる。
始めはとがった感じのビールの味がした。それは段々に無くなっていって、段々甘く優しくなってくる。
優しいキスはあの人と同じだった。
もっと触れたくて引き寄せると、覆いかぶさってきた大輔に組み敷かれた。
このまま――と思う。
大輔の体が熱く感じた。アルコールが入っているからかなとも思う。
待っていたらきっといつまで経っても抱いてなんてくれない。
でも、いいのかな、そんな微かなためらいがあって。
うん、と答えを出した。
優しいキスは同じ。
抱きしめてくれる腕の感触も腕の中にいる時のほっとした気持ちも同じ。
この人になら、すべてを預けられる。
陸は大輔の頭を抱きこんで、舌を絡ませた。
抱いてと言って、抱いてくれるような人じゃない。
ねえ――陸はそう大輔の心に話かけた。
僕はあなたが欲しい――。
抱いてもらえると思ったのに叶わなかった思いは満たされずに残っていて、思いを遂げたいと心も体も欲していた。