青い空に雲はひとつも見えなかった。
遊園地日和だなと思う。
通り過ぎていく話し声が耳を素通りしていく。はしゃいでいる子供達の声もホームに響いていた。
何本電車を見送ったか分からない。
「あと三十分……」
陸は時計を見てため息をついた。
家まで押しかけていっても、十分に間に合う時間だった。
前夜なかなか寝付かれなかったのに目覚まし時計より一時間早く起きてしまい、家に居ても落ち着かないから出てきてしまった。
もう一度時計を見て、でも、一分も経っていない。
一時間前には待ち合わせの場所に着いていた。そして、やっと半分が過ぎたところだった。

結局本当に退院してから一回も会えなくて、それは陸が家から外に出なかったから当たり前といえば当たり前だけれど、電話くらいしてくれればいいのに、と思 う。
こちらから連絡することは躊躇われた。大輔がどこに居て何をしているのかは分からない。そのうちに時間は過ぎていった。
家まで行っちゃおうかな――陸はそう思ってベンチから腰を上げかけて、思い直した。

約束は約束、おまけに陸が言った時間だ。それより早い時間に家まで押しかけるのはどうなんだろうと思う。せっかく自分の方を向いてくれたのに、鬱陶しいと 思われて自分から潰したくない。
ここで待っていれば来てくれるはず。
入院していたとき、一日も欠かさずに来てくれた。
だから、待っていれば来てくれるはず――。
陸は小さくため息をこぼした。


真っ暗な中、頭の中でジリジリとベルが鳴っていた。
――目覚まし時計?
陸の意識がふっと戻って目を開けると目の前で電車のドアが閉まっていた。
え?
肩に回されている手を感じて、陸は顔を横へ向けた。
「大輔さん……」
いつの間にか寝ていたらしい。隣に座っていた大輔は笑っていた。
「よく寝ていたから」
大輔の手が陸の前髪を優しく跳ね上げる。
「えっ、何時?」
時計を見ると、待ち合わせから三十分が過ぎていた。
「あ、ごめんなさい」
まだまだ時間はあると思っていたのに、寝てしまえば一瞬だった。
「いいさ。何も急ぐことはない」
大輔はそう言ったけれど、大輔が来てくれたのに気づかなかったことが歯がゆいと陸は思った。
これからはきっとあまり会うことはできない貴重な時間なのに、三十分損してしまった。
「疲れてるのか? まだ寝ていても良かったのに」
大好きな声が耳の中で反響する。
「ううん。疲れてなんかいないよ。ただちょっと眠かっただけ……」
今日のことが気になって眠れなかったなんて、言いづらかった。
「じゃあ、次ので行くか?」
「うん」
思い出はすべてこの人とであって欲しい。だから、行きたい場所があった。


「で、どうする?」
入り口の案内掲示板で、大輔が聞いてくる。
「ジェットコースターに乗りたい」
それが目的だった。
大輔は一瞬眉を潜め、
「あれ?」
後ろを向くとあるものを指差した。
「うん」
敷地がすり鉢状になっているのか、遠くまで見通すことができた。その中で、敷地の中ほどにある白く高く山のようにそびえるものがある。
大輔はしばらく見ていて、
「あれ?」
もう一度聞いてくる。
「ん……」
強くはでられなくなった。
嫌なのかな、と思った。絶叫系が嫌いな人は結構いたりする。
「そっか」
大輔はため息をついた。
「いいよ、別のでも……これとかこれとか」
陸は案内板に書いてあるアトラクションを指していった。それぞれ特徴のあるジェットコースターがいくつもある。。
「でも、乗りたいんだろ?」
聞かれて、陸は返事に困った。
同じものではないのだから拘ることはないとも思う。でも、少しでも近いものと思う気持ちはあった。あの人との記憶を上から塗り替えたい。
「いいよ、行こう」
肩を抱かれた。
「いいの?」
本当にいいのかな、と思う。
許して欲しいと大輔は言った。その償いに連れてきて欲しいと言ったのだから、拒むことはできないと思っているのかもしれない。
「お前が平気なんだろ?」
「うん」
一昔前のことだけれど、一度だけ乗ったことがあった。
「なら、大丈夫だろ」
ふっと口元を緩める。
いいのかな、そう重いながら、少しだけわがままを聞いてもらおう、と陸は思った。
遊園地へ行きたいと言ったとき、そんなことでいいのか、と言われた。
これも、そんなことのうち――。

木立の中を歩いていくと段々とその姿は近づいてきて、見上げる勇姿に大輔はまたため息をついた。
大丈夫?
そう言おうとして陸は言葉を飲み込んだ。
そんなに心配ならやめればいい。
けれど、後悔するような気がする。今ここでやめたら、もう乗る機会はなくなるだろう。そうすれば、あの記憶はそのまま残ることになる。ずっと、一人の人を 見ながら、二人分の記憶を持つことになる。
「ジェットコースター乗るの久しぶり?」
それでも、嫌なのかな、と気になった。
仕事づけで最近遊園地さえ来たことがあるのか。
「もういつだか分からないくらい昔に乗ったかな。うちの方の田舎じゃこんなのなかったけどな」
「田舎、どこ?」
聞いたことはなかった。
「四国」
「そうなんだ」
静岡より西には行ったことがなくて、陸にはずいぶん遠いところに感じた。
「ほら、いくぞ」
大輔が背中を押してくる。
夏休みだからだろうほとんど子供達で作られている列は駅舎の階段の下まで伸びていた。


「大丈夫?」
陸は思わず声をかけてしまった。
三分間の乗車時間を終え、がたんがたんと車体を揺らしながら駅舎の中にジェットコースターはすべり込んでいく。
大輔の顔はこわばっていた。
「あ、ああ……」
言葉少なく答えた大輔はその後大きく息を吐いた。
がくんと揺れるように車体は止まると体を支えていたレバーが自動的に離れていき、ぴぃと汽笛なような音が鳴る。
『お疲れ様でした』
アナウンスが流れ、どやどやと声を上げながら降りていく人波ができる。
「よしっ」
気合を入れるように大輔は立ち上がり、陸も後に付いた。
列に並んでからは声をかけても生返事だったから、陸は大輔に話しかけることをやめた。
順番が来て、乗り込んで、走り出して、確かに高さは高かったけれど、以前乗ったときの記憶より物足りない感じがした。もっと左右に振られた感じがしたと 思ったのに、それほどでもなくて、スピードも遅くなった気がした。それは以前乗ったときがもっと子供だったからか、桁はずれにすごいものに乗ってしまった からかは分からなかった。
違和感が掠めていく。
あのときとはまるで立場が逆だと思う。
人波の一番最後につきゆっくり階段を下りて、地面につくと大輔は上を見上げた。
「すごいな……」
また、ため息をつく。
「ん……」
もっとすごいものもあるけどね――陸は心の中で呟いた。
違う?
あの人とは違う。
それを感じたのは初めてではないけれど、はっきりと実感したのは初めてだった。
「満足したか?」
大きな手で頭を撫でられて。
「うん……」
顔も声も仕草も匂いもぬくもりも同じだと思うのに、心の奥に何かくすぶるものを陸は感じた。

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