待ち望んでいた言葉のはずなのに、陸は返事ができなかった。
本当に目の前にいる人が言った言葉なのか自信がもてなかった。自分の都合がいいように聞き間違えているんじゃないかと思えてくる。
「遅かった? もうお前には別のやつがいるのか?」
「――ううん」
夢でも聞き間違えでもいいと思う。
陸が両手を伸ばすと、ふっと笑った大輔も腕を伸ばしてくる。交差する腕の中で頬を寄せた。
「本当に?」
触れているぬくもりを感じているのに、陸はまだ信じられずにいた。
「大切なものはいなくなって初めて分かるっていうのは本当だな。陸が誰かに連れて行かれたと聞いたとき、金槌で頭を殴られたような気がした。立っているこ
とすら何か不安定で、おまけに携帯が切れて連絡がつかなくなって。俺は――」
大輔がくっと喉を鳴らす。
「ごめんなさい……」
そんなに心配をかけていたとは思わなかった。
「ばか……だな。悪いのはお前じゃなくて俺だよ。陸、俺はお前が許してくれるなら、どんなことでもする」
「どんなことでも?」
本当に?
「――犯罪になることは……」
声が曇る。
真面目な大輔らしい答えだと思った。
「うん。一緒に遊園地に行きたい」
あの人と行った場所だった。
一瞬大輔が固まった気がした。あまりに意外な答えだったのかもしれなかった。
「そんなことでいいのか?」
大輔が不思議そうな声を出す。
「ん」
背中へ回した腕をぎゅっと引き寄せた。
「行きたかったんだ」
陸にとってたったひとつの思い出の場所だった。
「じゃあ、足が治って元気になったら、な」
「うん」
「早く治せよ」
「うん」
大輔の声が心地よく耳に響く。
「今日はずっと居てくれるの?」
その方がうれしいけれど、そんなわけにはいかないだろうと思う。
「陸のお母さんが帰ってくるまでいる。さっきまで居たんだけど、今必要なものを取りに家に行ってる」
「母さん……何か言ってた?」
責められるのかな、と思った。何やってんのとか。なんで逃げないのとか。
「何も……何も言えないみたいだったよ。ただ、手術が終わって陸の顔見たらほっとしてたみたいだったが」
「手術? 何の?」
「足の……その方がいいだろうということだった」
「そう……」
心配性の母にまた心配をかけてしまったと思った。
「痛むか?」
「少し……でも、大丈夫」
大輔が居てくれて優しい視線を向けてくれて、正直痛みなんて言われるまで忘れていた。
「強いな、お前は」
呆れたように笑うと大輔が頭を撫でる。子供扱いは変わらない。
「大輔さんが居てくれるから」
そう、いつでも、怖いものなんてなくなってしまう。
「俺はお前にそこまで思われることなんてしてないだろ?」
「居てくれるだけでいい」
そう。あの人みたいにもう会えなくなるのは嫌だ。
「陸?」
「どこへもいかないで」
やっと捕まえた。
「ああ、毎日会いに来るよ」
「ん」
一番欲しかったもの。
ぬくもりも声も匂いもすべてそのまま。
「好き……」
陸が呟くと、言葉を飲み込むように大輔に唇を塞がれて、心の中がゆっくりと満たされていくことを陸は感じた。
ふっと目が覚めて陸が見回すと、大輔の姿は無かった。
少し寝るといいと言われて、大輔が手が握っていてくれたから、ほっとして、いつの間にか寝ていたらしい。
「陸、起きたの?」
代わりに、柔らかい光の中の母がいた。
「うん」
言葉通り大輔は母と交代して帰ったのだと思った。
「痛む?」
母が心配そうな声を出す。
「ううん。大丈夫」
痛みがまったくないわけではないけれど、今は胸の奥が温かくて痛みを包み込む。
「そう」
少しほっとしたような声をして、母は陸の顔を覗き込むように首を傾げた。
「ごめんね、心配した?」
この母が心配しないはずがなくて、会ったとたんにお小言かもしれないと思っていたのに、それは予想を外していた。
「あんまり――がっかりした?」
母が小さく笑う。
「ううん。良かった」
ちょっと意外だったけれど。
「だって、陸は居たから。居なくなった時のことを思えば、生きて目の前に居るんだもの、それだけで安心した」
大輔とは違う細い指が髪を前髪を梳くように撫でる。
「もし、そんなことがなかったら、大騒ぎしてたかもしれないけどね」
「ん、絶対だよ」
きっと、一晩中お小言を聞かされたんじゃないかと思う。
自分も、母と同じだと陸は思った。
ここは、言葉が通じないところじゃなくて、家族も友達もいる。誰も頼ることができなかった、何もわからなかったあの世界とは違う。それだけで、安心するも
のがある。
「父さんや姉さんは?」
「さっき一緒に来て、明日もあるから顔だけ見て帰った」
来てくれたんだと思うと、少し嬉しかった。心配をかけたいわけではないけれど、まったく気にしてもらえないのも寂しい。
「母さんは帰らないの?」
寝ていたから起きるまで待っていてくれたのかな、と思った。
「今日は特別、本当は帰らなきゃいけないんだけど、今日だけは許可をもらったから、一晩ついていてあげる」
「いいのに」
もう幼稚園児じゃない。
「邪魔?」
「そんなことはないけど」
「彼女ができたら代わってあげてもいいけどね。当分、できそうにないしね」
「うん」
彼女は一生できないかもしれない。
「じゃあ、母さんが面倒みてやるしかないじゃない」
母は不満げな声をだしながらも楽しそうだった。
「ん」
世間的には許されないことかもしれないけれど、人を思う気持ちは不思議で複雑で、本人でさえ自由にできない。
「そういえば、寝ていたから起こさなかったけれど、柏さん、明日も来てくれるって言ってたわよ」
思い出したように母は言った。
「あ、うん」
さっきのことは夢じゃないだ、と思った。
「彼は、いい人ね。どっちが親なんだかって言うか。こっちが大丈夫ですよ、って言いたくなるぐらい、陸のこと心配してくれて――もういい加減陸のことを離
してくれないか、と思っていたのだけれど……ちょっと見直した」
「――うん。優しい人だから」
とても。
「そうね」
母が笑ってくれた。
大輔を母も認めてくれた気がして、陸は嬉しくなった。
大好きな人であることを誰にも告げることもできないかもしれない。
それでも、離したくない人だった。