真っ暗な中で体を撫でられる感触を感じた。
「やっ!」
自分で出した声が頭に響いて、陸ははっと意識が戻った。
すぐに目に入ってきたのは白い天井で、消毒液の匂いが鼻を掠めた。
自分が寝ているのは硬い畳の上じゃなかった。
足の痛みもだいぶ引いていた気がした。
薄暗い光の中に人影を感じて、横を見ると大輔がいた。
「陸……」
大輔は顔を歪めると、そっと陸の手を握ってきた。
「ここは?」
白い壁とカーテンに囲まれていた。
「病院だよ……」
大輔の大きくて温かい手が優しく撫でてくる。
夢?
そう思いながらも、確かな感触があった。
「大輔さんが助けてくれたの?」
なぜここにいるのか。
なぜ、分かったのだろう。
「いや……」
大輔は頭を振った。
少しがっかりして、そうだよな、と思った。分かるはずがなかった。
「覚えてないのか? お前を助けたのは香だ」
名前を聞いてそういえばと思った。
ぼんやりした意識の中で、何度も名前を呼ばれた。あれが大塚さんだったのかもしれない。
「大塚さんが?」
「ああ、環から連絡があったらしい。だけど、俺はそのとき外にいて」
大輔がぎゅっと手を握り締めてくる。
「守ってやるって言ったのに……ごめんな」
声が震えていた。
「大輔さんの所為じゃないよ……」
相手が誰かも理由は何かもよく分からない。ただ、良太が知っているやつで環と陸との約束を知っていただけだ。
「携帯が切れたりしなきゃ……」
大輔が唇を噛む。
小刻みに震える唇に陸はそっと手を伸ばした。触れた唇は血が通っていないように冷たかった。
「大輔さんの所為じゃないよ。僕が……無防備だったんだ」
もっと早く気が付けば――変だと思ったらコンビニにでも飛び込めば良かった。
「陸……どうしてお前は……」
大輔の手が頭を撫でてそれが頬に下りてくる。大輔の顔が近づいてきて、自然に陸は目を閉じていた。
触れてきた唇はやっぱり冷たくて、ニ三度啄ばむように触れると離れていく。
もう会えないあの人が始めてしてくれたキスのように優しかったそれは温かさだけが違っていた。
「陸……俺は……」
惜しむように、大輔は視線を伏せると自分の手をぎゅっと握りこんだ。
――大輔さん?
今のキスをどう理解すればいいのだろうと陸は思った。
気持ちを告げた時は完全に拒まれた。
守ると言った言葉を守れなかったことへの謝罪?
「ねえ、僕は――どうなったんだろう……」
はっきりした記憶は途中までしかない。
環が大塚さんを連れて来てくれたと言ってもそれなりの時間はかかるはずだ。バイクに振りまわされて場所がどこかは分からなかった。
――あのまま僕は?
「左足首の骨が折れていた。あと、体のあちこちに打撲の跡があるし痣もできてる。だけど、内臓の損傷は無かったし、顔だけはきれいなままで……でも、環が
機転をきかせてくれなかったら、もう少し遅かったら……」
大輔の手が頬を撫でる。唇が小さく動いて、良かったと言っていた気がした。
「僕は――どうなって」
体は動かなかった。いや、動かせなかった。逃げることも守ることもできなかった。
「乱れた着衣のまま部屋の中央に寝かされていたらしい。香が応急処置するとか救急車を呼ぶとかすればいいじゃないか、と怒っていた。お前を連れ込んだやつ
らを止めたのは香でも環でもない」
「――誰が?」
助けてくれる人に心当たりは無かった。
「間に合わないと思ったんだろう。環がそいつの親に電話したんだ。なかなか相手にしてくれなくて、乱暴なこともずいぶん言ったらしいが」
「そうなんだ……」
良太が環に言ったのかもしれない。そのおかげ――。
「お礼言わなきゃ」
また会うことはないだろうと思っていた。
「それが……」
大輔の顔が曇った。
「何?」
「お前が被害届けを出すなら環を訴えると相手は言ってる」
「え?」
「向こうはお前が環の仲間だと思っているんだろう。環はずいぶんな暴言も吐いたらしい。もちろん、治療費は出すしそれなりの慰謝料は払うと言ってる。それ
で表沙汰にはしないでくれってことだ――まあ、その話は落ち着いてからでいい。まずお前が元気にならないと、な」
大輔の手が額にかかる前髪を払う。
環は大輔が一番気にかけているやつだった。
「被害届けなんて出さないよ」
自分に対する利益なんて何もない。自分を受け入れてはくれなかった人だけれど、困らせることも悲しませることもしたくない。
「それは、お前をこんな目に合わせたやつに何も罰を与えないってことだぞ。それでお前はいいのか?」
言葉が瞳が問いかけてくる。
「大輔さんは、どう思う?」
この人が望むなら――そう思う。
「俺はお前を守ってやれなかった。だから何を言える資格もない。だけど、相手を追及するということはお前も追及されるということだ。そのとき、何があっ
て、何を言われたのか、微に細に公にしなきゃならない。俺はお前を追及したくないし、誰にもして欲しくない」
「やめた方がいいってこと?」
――僕のために?
「でも、陸をこんな目に合わせたやつがのほほんと生きていることも許せない」
大輔は苦しげに表情を歪めた。
「環さんのことは?」
訴えられると言っていた。
「環は自分たちの争いにお前を巻き込んでしまったことを悔やんでいた。親の力なんてものも借りたくなくて、自分で決着をつけたかったはずだ。でも、そんな
ことは言ってられなくて――あいつはすごくへこんでいた。あんなに素直な環を俺は始めて見たよ」
大輔は視線を逸らし、遠くを見るように言った。
「いいの? 環さんのところにいってあげなくて……」
一番気にしているやつのはずだった。
「いい傾向だよ。今のあいつなら何があっても素直に受け止められるだろう。それに、俺は……
お前の傍にいたかった。お前は許してくれないかもしれないけど、俺は……陸」
屈折した光の中、陸には大輔の瞳が潤んでいるように見えた。
「俺はお前を誰にも渡したくない……」
大輔が呟くように口にする。
やっぱり、夢?
そう思ってしまうほど、陸の耳に届いた言葉は甘い響きを持っていた。