大輔はしばらく陸を抱いていていた。
時折背中を優しく撫でてくれる大輔にたとえ気持ちがないのだとしても、このままでいたいと陸は思った。
暖かく感じるぬくもりは同じもの。
だけど。
違うのかな、と思う。
自分が好きになった人はこの人じゃないのかもしれない。
顔も声も匂いもちょっとした仕草も優しさもみんな同じなのに、名前は違う。
「陸、送っていくよ」
頭上から声がした。今が何時かは分からなくて、知りたくもなかった。
「……歩けない」
体の力は入らなくてまるであやつり人形になってしまったみたいだった。
「何言ってんだよ」
大輔が笑う。
大輔に体を揺らされて、与えられる力のまま体が波打つ。
「陸?」
大輔が不思議そうな顔をした。
帰ってくるんじゃなかった、そう思って。でも、帰ってこなかったらもっと辛い目にあっていたのかな、とも思う。
大輔と初めて会ったときは、飛び上がるような喜びを感じて、今のこんな気持ちなんて予想もしなかった。
好きになってくれる、と信じてた。
今に思えば、どんな根拠があったのだろうと思う。
「陸?」
今度は心配そうな顔をする。
そうやって優しいから諦めることなんて決心できない。
でも――好きだと言ってくれたのはこの唇じゃなかった。
「帰る」
この人じゃなかった。
陸はふらっと倒れそうになる体を起こした。
「大丈夫か?」
大好きだった人と同じ顔をして心配そうに見てくれる。でも、この人じゃない。
陸は立ち上がって自分の鞄を手に取った。
「送っていくから、ちょっと待て」
大輔の視線はテーブルの上に向いていた。
プルトップを引いてしまったものをどうするか考えているのかな、と思う。
「いいよ。大丈夫。さようなら」
ぶつ切りな単語を言って頭を下げると、陸は大輔に背を向けた。
もう何も望めないと分かったから、送ってもらうことに意味はない。
「陸!」
後ろで呼ぶ声を無視して、陸は靴を履くと玄関を出た。
ドアを閉めて、嘘つき、と心の中で呟いた。
こうなることは分かっていたのかな、と思う。
見上げた空には半月が光っていた。
階段を下りて、どっちから来たんだっけと思った。
そのまま足が出る方へ歩きだし、いつかどこかへ着くだろうと思った。夜風は心地よくてこのままずっと歩いていたい気もした。
かつんかつんと遠くて響く音はあった。
「陸!」
突然腕をつかまれて、現実へ引き戻される。
――僕がどうなろうと関係ないじゃん
心の中で呟いた文句を陸はそのまま言うことはできなかった。
「どこへ行くんだよ。お前は」
――関係ないじゃん
そう思いながらも口にできない。
違う人だと理解しようとしても、納得できないものがある。この人に逆らうことなんてできない。
「こっちだよ」
大輔に引かれるまま陸は足を出した。
よっぽど心配だったのか、大輔はいつもの入り口ではなくて珍しく玄関まで付いてきてくれた。
「大丈夫か?」
繰り返される言葉に、
「うん」
と陸は素直に頷いた。
それ以外にどうしろと言うのだろうと思う。
大丈夫じゃないと言ったら、望みをかなえてくれる?
そんなことは絶対ないと思う。
「明日は、学校まで迎えに行くから校門のところで待ってろ」
大輔が頭をくしゃっと撫でる。
完全に子供扱いだ。いつでも――。
「うん」
不満を心にくすぶらせながら素直に頷く自分がいた。
明日また会える、そんなことを思いながら諦めきれない心の奥がもぞもぞしてくる。
優しさは時に罪だと思う。
そう、あの人も、そうだった。
遅くなったから母親に挨拶すると大輔は言ったけれど。
色々ばれたらまずいことがあるから、陸は断固として断った。
「面倒なことになるから……」
それはきっと当たりで。
「しかし……」
「今日はもう遅いし……」
「そうだな」
時計を見てため息をついた大輔は引き下がってくれた。
ドアの前で見送って、階段を下りていく大輔を目で追いかけながら、終わったんだと思った。
次の日。
昨日の今日でどんな顔で会えばいいのだろうと陸は思っていた。なのに、校門で待っていたのは大塚さんで。
見たことがある車だと思ったら、思い当たる人が窓から顔をのぞかせた。
「早く乗って!」
急かすように言われ、それなくても下校中の生徒でごったがえす校門の近くできれいなお姉さんが待っているなんていうのは生徒の好奇の視線を集めていて、の
んびりしていられる状況じゃなかった。
ざわざわした話し声は聞こえても騒ぐやつがいないのは助かったというべきか。
それでも、車が走り出すときには叫び声を聞いたような気がした。
「ちょっと、まずいかな」
大塚さんがぼやくように言う。
「え?」
「明日からは待ち合わせる場所をちょっと変えようか」
視線は前に、車を運転しながら大塚さんが言う。
「大輔さんは?」
来てくれるのは大輔だと思っていた。
「ん、大輔は環の方にね。色々ついでもあるし」
そうだったと思う。あくまで大輔が気にかけているのは環だ。
「いいよ、大塚さん。もう迎えに来てくれなくて」
「え、でも、いつ環が仕掛けてくるか分からないでしょ」
ちらっとこちらを見て、大塚さんは言った。
「ううん、分かってる。大輔さんには昨日言いそびれちゃったけど……」
正確には言う気はなかったことだけれど。
「え? 何? いつ?」
大塚さんの声が少し驚いていた。
「あのね――」
陸は環から言われた日より一日遅い日を告げた。
その日にはすべて終わっているはずだった。