大輔は少し驚いた顔をして、立ち止まっていた。
「あ、もうすぐ終わります」
迎えにきてくれたのだと思い陸は大輔に声をかけた。
一応心配だからと、いつも家まで送ってくれる。
「あ、別に急がないでいいよ。終わったら、部屋に顔出して」
驚いたままの顔で返事を返してくれた大輔は一度踵を返しかけて、そのまま振り返り陸に向かって笑った。
一人ではなかったことに、
良かったな――――そう言ってくれた気がした。
良太は下を向いたまま机を拭いていて、大輔の方を見ていなかったことになぜかほっとした。
大輔はすぐに背中を見せ、部屋を出ていった。
――――うん、良かった
陸は片付けを続けながら、既に部屋を出ていった大輔に心の中で呟いた。
低い空に、三日月が霞んでいた。
「もう、味方を見つけたんだな」
大輔が感心したように言う。
「さあ、分からないけど……」
今日のところは少しやる気になってくれたみたいだけれど、それがいつまで続くかは分からない。
目標があるわけではなくて、ただ、面白く感じただけのようだったから。
「思っていたより、トラブルとか無さそうで良かったよ」
「うん」
それは素直に思う。
「大輔さんのおかげだよ」
存在は大きい。
「俺は何もしてないよ」
「ううん。居てくれるだけで、心強い」
陸が逃げ出さずに居られるのは、大輔が居てくれるからだった。
「それは、良かった」
大輔が笑いながら、頭をくしゃっと撫でてくれた。
家に着くまでの、ほんの少しの時間。それは、本当にご褒美のようで、結果はどうあれ、がんばらなきゃいけないと思う。
「あ、そうだ」
陸は鞄をあけると、中からハンカチを取り出した。
「これ」
大輔に差し出すと、大輔が首を傾げる。
「借りたやつ……」
「あ、ああ、別によかったのに」
言いながら大輔はすんなり受け取ってくれて、陸はほっと胸を撫で下ろした。
街路灯の明りがあるとは言え、薄暗くはあるから、きっと自分のハンカチとの判別はつかなかったのだろうと思った。
騙しているようで少し気が咎めたけれど。
――――ごめんなさい
謝りの言葉は心の中だけにしておいた。
隣に立ってはいても、縮まらない距離を感じる。
大輔にとって、自分はあくまでも事件の関係者にすぎないのだろうと思う。
近くにいられる二週間、その間に少しでも近づきたいと思うけれど、どうしたらいいのか分からない。
ただ、自分の言ったことは守りたいと思う。
誰でもいい、次の試験で実績を出してくれればいい。
一番近いのは良太だと思った。
少しづつ変わっていく良太と少しづつ満ちてゆく月と、変わるものはそれくらいで、肝心の環は相変わらずでノートは毎日とってくれても陸がやってもらうよう
に出した問題を解いてくれることはなかった。他の連中のわざとらしい大きなため息や頭をかきむしる音が響く雰囲気も変わることはなかった。
その中でとにかく問題を一問でも多く解いてもらうことを陸は考えて、けれど、分からないものは分かるまで言葉を変えて教えた。それは良太だけでなく。
環との約束は忘れていたわけではないけれど、諦めていた。
ただ、大輔に呆れられたくなかった。それだけだった。
止まることなく日々は淡々と過ぎていった。
時計を見て陸は小さくため息をこぼした。
「……じゃあ、これで終わり」
時間は七時半だった。
「終わりぃ!」
「やっとかよっ!」
それぞれが恒例のようにわざとらしいやる気のなさそうな大きな叫び声をあげ、机をがたんと蹴る。一人や二人ではないのだから、それなりの物音が部屋に響い
て耳を覆いたくなる。
「おまえら、ちょっとは静かにしろっ!」
大輔がたしなめてもそれは変わりはしない。
二週間経ってもこの音に慣れることはなかった。
ただ、満足して出て行くのを顔を伏せ身を硬くして待つ。
部屋の後ろには大輔が居てくれる、だから大丈夫。そう自分に言い聞かせていた。
けれど、それも今日が最後だった。明日から試験が始まる。
一通りの喧騒の後、ドアを乱暴に開け騒音が固まりとなって出ていく。
これで終わりだ。そう思うと、少しの安堵はあった。
静かになった中でかたんと小さな音がした。
良太が机を直してくれているのだと陸は思った。
それも、いつものこと。
陸もやろうと顔を上げると、すぐそこに机に座っている環がいた。
もう出ていったと思っていたから、少しの驚きがあって陸は声がでなかった。
「楽しみだな」
環がにやっと笑う。
陸はごくりと喉を鳴らした。
「試験が返ってくる一週間後、いつもの時間、駅の改札で待ってるから来いよ」
環の言葉に、
――え?
ここでじゃない? そう思ってここで人一人好きになんかできるわけはないかと思った。
「逃げても無駄だぜ。学校も分かってるんだからな」
環が得意げに言う。
そりゃあそうだろうと思った。毎日制服を見られていた。
「ん……」
今更言う言葉もなく、陸はただ頷いた。
これは自分が撒いた種だった。
「ふんっ」
憎憎しげな顔をすると、環は机から降りて、今まで座っていた机をがんっと蹴り倒した。
ついでにとばかりに、良太が起こした机も蹴り飛ばしてから環は部屋を出ていった。
部屋の後ろに大輔はいなくて。
「環っ」
廊下で大輔の声がした。