願いごとが叶うなら、その報いは必ずある。
そんな言葉が陸の頭には浮かんだ。
今まで会話を交わしたことさえ数えるほどだった人と二日続けて並んで歩けるなんて、予想していないことだった。
日頃、まっとうに授業を受けていなかったやつらにとって、一時間以上大人しく座っているということは酷く重労働だったらしい。
「どうする? これから」
という言葉を聞いたときまだ遊びに行くつもりなのかと思ったけれど。
「なんか疲れたわ、今日は帰るよ」
と口々に言うのを聞いて、陸はほっとした。
環は最後まで椅子にもたれるように上を向いて、何か考えているようだったけれど、突然陸を睨みつけて部屋を出て行こうとした。
大輔に腕を掴まれて。
「うっせえなっ、帰るんだよっ!」
と叫んでいたから、大人しく家に帰ったのだと思う。たぶん。
正直陸も疲れたと思う。
計算の基礎からまったくできないやつが、何人もいた。高校って受験あるんだよなと本気で思った。
()付きの計算から√から指数から方程式、因数分解、確率。
明日からのことを思うと、頭が痛い。
けれど。
今、隣に大輔がいてくれる。
毎日ついていてくれて、帰りも家まで送ってくれると言った。
「一人でもやる気になってくれたらいいな」
そう大輔は言ってくれた。
シンデレラのように、リミットは決められている。
二週間後、自分はぼろぼろにされる。
今大輔が自分の傍にいてくれる。それはそのための代償のようにも思えた。
世間話をしながら帰って、昨日別れた入り口まで来て陸は立ち止まった。
「じゃあな」
大きな手がくしゃっと髪を撫でる。
「ん、ありがとう」
言いながら大輔を見上げて、陸は昨日借りたハンカチのことを思い出した。
実は、もう昨日洗ってアイロンまでかけて、鞄の中にしっかりある。
もう少し、持っていちゃだめかな、と思った。
そして、ふといい考えがひらめいた。
「お前も疲れただろ? 」
「ん」
否定はできなかった。
「まあ、ゆっくり寝ろ」
「ん」
そればっかだ、と思いながら大輔が言ってくれることだから嬉しい。
いつまでも離れたくなくて、ぼんやり立っていたら。
「ほら」
大輔に背中を押された。
「ん」
仕方なく陸は足を出した。
明日また会える。数日前に比べればすごい進歩だ。
振り返ると、やっぱり見ていてくれて、手を振ってくれた。手を振り返して前に進む。
気持ちに素直になるなら、駆け戻って抱きつきたいけれど、そんなことはきっと大輔は思いもよらないことなんだろうな、と思った。
見上げると、月が見えない真っ暗な空で。陸にはそれが二週間後の自分の行く先にも思えた。
家に帰ると、母親は居間でテレビを見ていた。
「おかえり」
「ただいま」
決まった挨拶をかわすと、母はソファから立った。
「いつまで行かなきゃいけないの? 」
母が台所から声をかけてくる。
「いつまで、ってことはないけど……」
陸は鞄からお弁当箱を出すと母親に渡した。
「記憶がないものは仕様がないわよねえ」
母の声には不満が混じっていた。母は署から呼び出されていると思っている。説明しづらかったので陸は母の誤解を解くことはしなかった。
「ん……ところで、もらったハンカチ、新しいのまだある? 」
母の母、つまり、祖母は毎年クリスマスプレゼントに家族全員にハンカチをくれる。
「何年分もあるわよ」
母は少し呆れたような顔をして、陸の方を向いた。
今時、ハンカチを使うことはあまりなくて、陸も持ち歩かない。陸の姉もハンドタオルの方が便利がいいと、使わない。家に居る母は使わないし、使うのは父ぐ
らいだった。
くれるものをいらないとも言えず、学校のバザーの出品するくらいのものだった。
「一枚頂戴」
借りたハンカチの代わりに、新しいものを返していいだろうと思った。
「一枚といわず、二枚でも三枚でも。でも、後でね」
温めたみそ汁をお椀によそいながら言う。
「うん」
陸は答えると、鞄を自分の部屋に置くために居間を出た。
自分の部屋に入り、鞄を床に置くとファスナーを開けて中をごそごそとあさり、お目当てのハンカチを手に取る。
小さな宝物は掌に収まるものだった。
「陸、ごはんよ」
母から声をかけられて、
「うん、今行く」
陸はハンカチを机の一番上の引き出しにしまった。
「ふぅ――――……」
湯船に浸かりながら、陸はため息がでた。温かいお湯が体にあたって揺れている。
明日からのことを思うと気が重い反面、大輔に会えることは楽しみでもある。
「どうしよう」
約束どおり、全員十位以内は絶対に無理だ。
大輔は一人でも、と言った。
「ん……」
一人だけでも――――そうすれば、自分も納得できるだろうと思う。そして、環は勉強ができるやつだと知った今、その一人は環じゃない。
一人でも難しそうだけど。
「誰か……」
陸は今日初めて会った人たちの顔を思い浮かべた。