陸が振り向いて大輔を見ると、ドアの傍でパイプ椅子を開くとそこに座って腕を組んでいた。
眉を寄せ難しい顔をしていたけれど、口は開きそうになかった。
あの時。
ドアの前が止める最後のチャンスだったのだろうと思った。
部屋に入ってしまえば顔が分かる。そうなってしまえば、どこの誰かを捜すことは簡単なことなのだろう。環だけなら抑えることはできても、これでは人が多す
ぎる。
「センセ、さっさと始めようぜ」
後ろから環がせつくような声をかけてくる。
――――どうしよう
陸は頭の中が真っ白になっていた。
大輔があれだけやめろと言ったのに、言うことを聞かなかったのは自分だった。今更、大輔に泣きつくことなんてできない。
陸はのどをごくりと鳴らした。
「えっと……何人いるの?」
目で人数を数えた。
「さあ、何人かな?」
分かっているだろうに、環は無責任なことを言う。陸が数えた結果は17人だった。環も含めて18人になる。
絶対無理だろうと思う人数を集めたはずだ。大輔はぼこぼこにするつもりだと言っていた。その通りだったわけだ。
「とりあえず、みんなに座って欲しいんだけれど……」
言いながら陸が環を見ると、環は眉を寄せ訝しげな顔をした。
やる気なのか? そう表情は言っているように見えた。陸が降参してしまえば手っ取りばやいのだろう。けれど、そう簡単に白旗は振れない。
「だってよ」
環が陸を見ながら言う。
「え゛ーーーーーーー」
周りからは不満げな声があがった。
「環さん、話が違うじゃないっすかっ」
文句の言葉もあがる。
「うるせえな!たった二週間が待てないやつは出ていけよ!」
環の表情が更に険しいものに変わった。
陸があっさりと負けを認めると思っていたらしい。大輔がらみでなければ、そうだったかもしれないし、少なくとも、大輔が絡んでいなければ、こんな無謀なこ
とを言い出しはしない。
一様に、面白くないような顔をして、それでも部屋を出ていくやつはいなかった。
そう。
二週間待てばいいだけだ。そうすれば、人一人ぼこぼこにできるなら、そっちの方が面白いだろう。
がたん、がたんと必要以上に大きな音を立てながら、時に舌打ちしながら、環を除いて全員が席についた。
「環さんも」
陸が声をかけると、ふんと面白くない顔をして、空いている席に座る。
環一人なら、向かいあいながらできると思ったのに、大人数を相手にするなら話は違う。
「えっと」
まず何から始めればいいのかも考えがまとまらない。
「レポート用紙かルーズリーフか、切り離せる紙と筆記用具を出してくれる?」
とりあえず、どのくらいできるのか知ることが必要だろうと思った。
「そんなモン持ってるわけないだろっ」
当たり前のように叫ぶやつがいる。学校に通っているなら必需品じゃないの? と思ってもそれは通用しないのだろう。
「じゃあ」
仕方ないと、陸は鞄を近くの机に置くと開けてファイルを出した。
紙はなんとかなる。でも、筆記用具はそれほど持っていない。思わず、陸は大輔を見てしまった。
「鉛筆でいいか?」
察したらしい大輔が答えてくれて、陸は大きく頷いた。胸が熱くなって、でも、泣いちゃいけないと思い息を大きく吸った。
大輔がいてくれる。それは大きな味方だった。
紙と鉛筆を配ると、陸は用意していた問題集を取り出した。
部屋の脇にあった白板をがらがらと引いてきて、みんなが見える位置に置く。
「これから、問題をいくつか書くから、それをやってみて」
教科が数学だけなのは助かったと思った。覚えることも必要だけれど、問題の数をこなせばなんとかなる。他の教科はまず覚えないと話にならない。
適当に基本問題を見繕って五問ほど、白板に書いた。
「分からないものは飛ばしていいから、分かるものだけとりあえずやって」
高校一年でやってるはずだ。全てできて当たり前の問題、だった。
不服そうな顔をしながらも、ちらほら鉛筆を持ち始めるのを見て、陸は環からもらったファイルを見た。
ファイルの中は学年別に中間考査と期末考査がきれいにファイルされて、絶対に環のものでもなければここにいる誰かのものでもないと思った。
おいおいに、というノートもどうやって手に入れるつもりなのか――――。
陸は環の後ろに立った。
案の定というか、渡した紙には何も書かれていない。
「環さん」
「あん?」
何か文句でもあるのかよ、と言った顔で睨んでくる。
「ノートはいいよ」
他の人にまで迷惑はかけられない。
「へ? 諦めたのか? そりゃその方が賢いよな」
ふふんと鼻で笑う。
「そういう訳じゃないけど……環さんが書いてくれるノートじゃなきゃ意味がないから」
「はあ?」
環が訝しげな顔で見てくる。
「誰が書いたって同じだろ?」
目を細め、不満げな顔をする。
「違うよ――――だって、一度書いたってことになるから」
最初訳がわからなくても、二度三度同じものを目にすれば見えてくるものもある。
一度、なんだこいつと言いたげな顔をして。
「……分かったよっ!――――そんなことで逃げ口上にされても嫌だからな」
環は憎憎しげな表情をして、顔をひくひくさせた。
「俺はお前みたいなきれいな顔しているやつがだいっ嫌いなんだよ! 逃げるなよ。絶対落としまえつけさせてもらうからな」
捨て台詞のように言うと、ふいと顔を逸らす。
予想とは違ったけれど、結果オーライだったらしい。大輔の話を聞いているから、環なら授業さえ聞いてくれるならば大丈夫だろうと思った。白紙で出された
ら、というのはそれ以前の問題で防ぎようはない。
どうしたら、ちゃんと試験を受けてくれるのか――――環に大事なのはそれだった。