大輔にとって、陸の優先順位はめちゃくちゃ低い。
本人に問題はない。家の近くのパトロールは以前より強化されているという話だった。
暴行を受けた跡があるわけでもなく、脅迫電話があったわけでもない。そもそも事件があったのかどうか疑う目もあり、取り上げてくれるのは大輔だからこそ、
らしい。
また何かあったわけでもないなら来なくてもいいと、大塚さんにも言われたことがある。
真面目ねえ――――と大塚さんがため息まじりにぼやいた声が忘れられない。
申し訳ないけれど、真面目なわけじゃなかった。
どたんばたんとどうやったらそんな音がでるんだと思うような足音を立てて階段を上がってくる音がする。
階段の影から背の高い大輔の顔が見えて、待っていたかいがあった、と陸は思った。
程よく日に焼けた肌にきりっとした目元にすっと整った鼻筋は、雑誌のモデルでも通用すると思う。髪を後ろへ柔らかく流し、スーツを着こなしている姿は見
入ってしまう。
「ずっと待ってたのよ」
半ば呆れたように大塚さんが大輔に言う。
実際、呆れているのだと思う。警察に自ら来るやつは少ないだろうと思った。
「え、あ、陸か」
今気づいたという風に視線を向けてきた大輔は、眉毛を剃り、髪はすすけた金髪で、だらしなくはおったシャツにだぼっとした制服らしいズボンからパンツを見
せ眉間にしわを寄せた見るからに素行が悪そうな
やつを引っ張っていた。こいつの顔は見たことある。環とかいう大輔が気にかけているやつの一人だった。
まず、自分の顔を覚えてくれているみたいで、陸はほっとした。あまり会わないでいたら、顔すら忘れられてしまうんじゃないかと思う。
「何か思い出したのか?」
訊かれて、陸は言葉に詰まった。
大塚さんや変なやつがいるから迂闊なことは言えない。
「じゃ、こっちを先に片付けるから、ちょっと待ってて」
大輔はそのまま環の腕を引っ張って、少年課の隣にある会議室という札のある部屋に入っていこうとした。
「なんだよ、俺は別によ〜」
文句虚しく、環は部屋に連れ込まれ、ばしっとドアを閉められていた。
「ちょっとで済むかは疑問ね」
大塚さんがため息交じりに言う。
「でも、待ってみます」
待ってて、と大輔が言うのは珍しい。
環を家に送り届けるとしても、便乗すれば一緒に帰れる。二人きりでないなんて、この際文句は言ってられない。
陸は単語帳を床から拾った。
「そう?」
半分呆れたような声で答えてくれた大塚さんは部屋へと戻っていった。
「イイカゲンにしてくれないかなあ〜」
間延びしたそれこそ いいかげんに思える環の声が聞こえてくる。壁一枚あっても、大人しく話しをすることを知らないのか声は筒抜けだった。
「あんたには関係ないじゃん」
環の声に、
そうだよ!
と心の中で叫びながら、陸はため息をついた。
仕事熱心は確かに良いことなんだろうけれど、環がどうなろうと大輔には関係ないだろうと思う。大輔がいくら説教しても大人しく言う事を聞くとは絶対に思え
ない。
そんなやつが山程いるから、大輔が忙しくなるわけだ。
「学校なんか行っても、おもしくないじゃんよ〜」
辟易してます、というのが環の声から漂ってくる。
確かに。
と思うところはあった。
面白い教師もいるけれど、大概は訳がわからないことを言ってつまらない時間が流れていくだけの時が多い。
そんな時、陸はもっぱら他の授業の宿題とか、勝手に先に進んでいたりした。
相性があう参考書さえあれば、そっちの方がずっと役にたつ。
試験でいい点さえ取っていれば教師は文句は言わない。学校に行く目的は授業を受けることじゃない。
「だからさあ――――」
ガタンと机が倒れるような大きな音がした。
そんなやつらに何を言っても分からないよ、と思う。それでも、大輔は見捨てることはできないらしい。学校くらい大人しく行けばいいじゃん、と思った。学校
にさえ行くようになれば、大輔の仕事が減る。
そうしたら――――。
ふと思いついたことがあって、陸は立ち上がった。要するに、学校がおもしろくなればいいわけだ。
大輔がいる部屋をこつこつと陸はノックした。
「はい? 誰?」
大輔の声が聞こえて、陸がドアを開けると部屋の中ほどで小さな机を鋏み大輔と環が向かいあっていた。椅子の背にもたれふんぞり返るようにしている環の足先
で机がひとつ横になって転がっていた。むしゃくしゃして机に当たったのか、と陸は思った。
「何? 陸。用事があるなら帰っていいよ」
大輔は基本的に優しい。
今日は二回も名前を呼んでくれた、と思った。
「そうじゃなくて、あの……環さんは学校が楽しくなればいいんだよね」
それで、大人しくなってくれれば、大輔の仕事が減る。ということは大輔の時間ができる。
「あん?」
椅子の背にもたれたまま、ゆっくりと環は陸の方へ視線を向けた。