期末試験最終日。
 終わりのチャイムが鳴ると教室の中は悲喜交交で、天を仰ぐやつもいればにんまりしているやつもいた。

「嬉しそうだな」
 哲平が頭を小突いてくる。
「あ、だって、試験終わったから」
 智也は咄嗟に出てきた言い分けを口にして、にこっと笑った。笑ったつもりなのだけれど、それまでと対して表情が変わっていない気がした。嬉しくて、それ がつい顔に でてしまう。朝から顔の緩みが戻らない。
 待ちに待った日がやっときた。
 哲平達は皆大きなバッグを持っていた。急に中止ということがないわけじゃないから、最後まで見届けなければ安心はできないけれど、ほぼ、愛ちゃん上映会 は行われるらしい。
 教室のドアががらっと開いて、担任が姿を見せる。席を離れていた人ががたがたと机を鳴らしながら席につく。ホームルームが終わったら帰れる。智也は一度 家に帰ってから哲平の家に行くつもりでいた。
 ――もう少し
 担任の話は頭上をすり抜けていっていた。


 着替え一揃いと親から渡された菓子折りと一応勉強道具が入った鞄はそれなりの重さがあった。
 久しぶりに来た哲平の家の前で、智也は一回深呼吸をした。
 泊まりにくるなんて初めてで、心臓がどきどきしていた。
 門のインターホンを鳴らすと遼平の声で返事があって、鍵は開いているからそのまま入ってこと言われ、智也は門を抜け石畳を数歩歩くと玄関のドアを開け た。

 どきどきしていて、嬉しくて、このまま飛びついちゃおうかななんて思っていたのに、
「あ……」
 智也はドアを開けたまま息を呑んだ。
 頭からすっと血の気が引いていくのを感じた。
「遠慮しないで上がれよ」
 壁にもたれて腕を組んでいるやつが言う。
「……どうして?」
 智也は小さな声で呟いた。
 目の前には哲平がいた。
 学校の帰り哲平とは駅で別れた。斉木の家に行くと、数人で一緒にホームに行ったはずだ。

「そんなところに突っ立ていたって仕方ないだろ」
 哲平がタタキに降りてきて、鞄を持ってくれるとドアを閉めた。
「斉木のところに行ったんじゃなかったの?」
 予定が変わったなんて聞いていない。
「用事があって俺は帰ってきたんだよ」
 哲平が上がれと促してくる。
 居間から遼平が出てくると、哲平は先に上がって智也の鞄を床に置いた。

「哲平がお前と話したいことがあるそうだよ」
 遼平はそう言いながら近づいて来て、タタキに降りて靴を履き横に並ぶと、哲平はお前のことが好きなのかもしれない――そう小さな声で囁いてきた。
 ――え?

「なんだよ。聞こえるように言えよ」
 哲平が声を荒げる。
 遼平は一度哲平の方を向き、
「智也の好きにすればいい。俺はそれでいい」
 と言った。
「な」
 遼平が顔を向けてきて、念を押すように言う。
「どういうこと?」
 智也は遼平の腕を掴んだ。
 この状況さえ、よく分かっていない。
「言葉通りだ。お前が決めたことに俺は文句を言わない。だから、哲平に正直に話すといい。お前が幸せなら、それでいい」
 ――え?
「ちょっと待って」
 それじゃ、別れの台詞みたいだ。
「俺が家からお前の携帯にかけたとき、哲平は横で聞いていた。だから、何も隠すことはない。俺は少し外に出てくるよ。その方が話しやすいだろ? 」
 遼平は掴んでいた手剥がすと、きゅっと握ってきた。
「大丈夫だよ。哲平はお前を悪いようにはしないさ」
 そう続けて小さく笑う。
「あ、でも……」
 哲平は知っていた?
 そんなことは考えもしなかった。
「哲平、分かってるな」
 遼平が厳しい声を哲平にかけると、
「分かってるよ。だいたい、智也は俺の友達なんだぜ」
 哲平が不服そうに言う。
「だから、な」
 遼平はぽんと肩を軽く叩くと、ドアを開け家を出て行った。

 しばらく、智也は閉まったドアを見ていた。
 大きなため息が聞こえ、智也が振り向くと、哲平が呆れたような顔をしていた。
「お前分かり易すぎ」
 文句のように言うと、哲平はもう一度溜息を付いた。



 居間でテーブルを挟んで哲平と向かい合った。
 テーブルの上には、紅茶とモンブランが並んでいた。
「で」
 哲平が紅茶を一口飲み、口を開いた。
「俺、色々ショックなんだけど」
 哲平がソファに沈み込むように背をもたれかける。

「ごめん」
 智也は首を竦めた。
 ずっと騙していたことになる。
「いつからなんだよ」
 哲平が聞いてくる。
 答えないという選択肢はないと思った。
「哲平と遼平さんと三人で初めて会った時から少し経って、偶然駅で会ったんだ。それから」
 あれはきっと偶然じゃない。たぶん、初めて会った時も偶然じゃないのだろうと思う。
「お前がおかしくなり始めた頃、ってことか」
 探るように見られて、智也は顔を伏せた。
「じゃあ、あのストーカー事件は嘘?」
「嘘じゃないけど……」
「相手は遼平だった、とか?」
 核心を突かれて、智也は答えられなかった。

「図星か。最初は嫌だったってことだよな」
 そう聞かれて智也は小さく頷いた。
「じゃあ、はっきり断れば良かっただろ」
 哲平が正論を言う。
 そうできればそうしたけれど、そうできなかった理由は話せはしない。
「まさか、俺の兄貴だったからなんて言うなよ」
 哲平が情けない声を出す。
「違うけど……でも、なんとなく断れなくて……」
 今なら、きっぱり断ればそれで終わっていた気がする。腹いせに遼平が哲平にばらすとは思えなかった。

「なんかさあ」
 哲平が天を仰ぎ、
「俺の好きなやつはみんな兄貴のこと好きになっちゃうんだよなあ」
 ぼそっと不満げに言った。

 ――え?
 智也は思わず顔をあげた。
 遼平もそんなことを言っていた。
 だけど、そんなこと信じられない。


「まさかお前までとは思わなかったよ。だいたい男同士だろ。ありえないって」
 哲平が呆れたような声を出す。
 ――ありえない?
 ってことは男同士で恋愛感情をもつことを肯定はしていないのだと思う。
 好きっていうのは友達としてってこと?
 その方が納得できるし、今となってはそうあって欲しい。 

「どうして分かっちゃったの?」
 遼平とのことが哲平に知られるとは思わなかった。
「考えれば考えるほど釈然としなくてさ。お前が抵抗していたようには見えなかったし、毎週来てて休みにはちょくちょくどこかへ行っているんだからあまりに 今更過ぎ るし、明らかにお前が変なんだもんよ。携帯取り上げたって言ったら悲しそうな顔するし、熱出して早退まですれば、なんか元気ないし。遼平にカマかけてみて も今ひとつだったんだけど、智也にカマかけてみようかなって遼平に言ったら、あいつ顔色変えたんだよなあ。関係ないだろって」
「遼平さんが?」
 守ってくれようとしたんだと智也は思った。きっと、自分がカマをかけられたら、誤魔化すことなんてきっとできない。

「それでも吐かないから、お前に罠をしかけようとしたけど、あっさりかわされたしな」
「罠?」
 そんなものは覚えがない。
「お前も騙してたんだから怒るなよ。家の電話からお前にかけただろ? 遼平と間違えないかなあと思ったんだけどな」
「え? じゃあ、あの電話……」
 変だとは思ったけど、罠だとは思わなかった。
「斉木と組んで一芝居打ったのに」
「え、じゃあ、あの話はでっちあげ?」
 愛ちゃん上映会は十人近く巻き込んでいる。
「でっちあげのつもりだったけど、人数集まっちゃったから今ごろやってるよ」
「嘘……」
 完全に引っかかっていた。
「智也に電話してみてよって持ちかけたら、遼平は二つ返事でOKしたよ」
「遼平さんが?」
 ――なんで?
 哲平の計画に自らのったってこと?
 智也は信じられなくて、胸がきゅっと痛くなった。
 知られたくないことは知っているはずだ。なのに?
「その代わり、智也への態度を変えるなってあいつ言ってきたんだけどさあ。なんか、あいつ間違えてるよなあ」
 哲平が不満げに言う。
「え?」
 ――態度を変えるな?
 それは、きっともう誤魔化せないと思った遼平が最後に守ってくれようとしたってことだ。
「智也は俺の大切な友達なのに、なんで恋人ができたぐらいで態度変えなきゃいけないんだよな」
 哲平が問いかけてくる。
「だって……」
 普通の恋人じゃない。哲平自身ついさっきありえないと言ったことだ。
 智也は胸が熱くなってきた。遼平はいつだって気にしてくれていて、さっきも好きにしていいと言った。

「だけどさ」
 哲平が見てきて、
「なんか面白くないんだけど。お前が遼平に取られるのは」
 言いながら眉を顰める。
「お前が懐いていたのは俺だったはずなのに。なんで、いつの間にかあいつになってるわけ?」
 とうとう遼平はあいつ呼ばわりされていた。
「僕も分からない……」
 最初は絶対に嫌なやつだったはずだ。なんでこんなに切なくなるほど心の中を占めるのか、今だって早く帰ってきて欲しいと思ってる。

「あいつが好き?」
 哲平がストレートに聞いてくる。
「うん」
 智也はゆっくり頷いた。
 もう誤魔化せやしない。遼平との電話を聞かれた時点で、誤魔化すことなんて無理だった。
「じゃあ、一つお願いがあるんだけど。つーか、約束してよ」
 哲平が身を乗り出してくる。
 哲平が真剣な顔で言ってきたその約束を聞いて、智也は思わず笑ってしまった。


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