制服姿で大学の構内に入る気にはなれなかった。
 智也は門から少し離れて、中から出てくる人を視線で追っていた。
 連絡を取れる手段はなく、いくら待っても待ちぼうけになるかも知れない。そう思っても、ただ連絡を待っていることはできなかった。
 ――バイト先に行った方がいいのかな?
 もう大学は出たのかもしれない。
 ただ、バイトは毎月スケジュールが変わると言っていた。そのスケジュールを覚えているわけじゃない。携帯にメールすればその時どうしているのかは分かる から、覚えようともしなかった。

 暦は春になってはいるが、まだ風は冷たい。木々に芽吹きはあるけれど、まだ生まれたばかりという感じで、風景は冬に近かった。
 何人かが団体で門を出て行き、一人が入って行き、二人が出てきて……視線を向けてくる人もいれば、気が付かない人もいる。時計の針はなかなか進まなく て、じれったくさえ思えてくる。

 ――家に電話してみようかな
 家に居る可能性は低いと思う。
 月曜は午後まで講義が入っているはずで、ただ、休講になることもあるらしい。
 今なら哲平はまだ帰っていないはずだ。遼平が家にいる保障はないけれど、ただ、何もできずに待っていても気があせるばかりで、もし、家にいたとしたら、 ここで待っていることはすごくバカらしい。
 智也は携帯を開くとアドレス帳を表示した。電話番号は全部携帯が覚えていてくれる。ボタンを二つ押せば、簡単に繋がる。そして、呼び出し音が聞こえてき た。
 居るわけ無いよと思いながら、門から出てくる人を視線では追っていて、
 ――あ……
 待っていた人が出て来たのに、智也は動けなかった。

 携帯は呼び出しを続けていた。
 誰も出るはずがなかった。待っていた人は目の前で女の人に囲まれていた。
 智也が、ただ、呆然と見てたら、遼平が気が付いたらしく顔を向けてきた。驚いたように立ち止まり、近くのやつに何かを言うと近づいて来る。
 智也は携帯の呼び出しを切った。

「どうしたんだ?」
 遼平が窺うように顔を覗きこんでくる。
「会いたくて……」
 智也がぼそっと言うと、遼平はふっと笑って頭を撫でてくれた。
 遼平と一緒に門を出て来た人たちは、しばらく立ち止まっていたけれど、遼平が振り向いて手を振ると、誘い合うように駅へと続く道を歩いていった。

「学校は? 時間早いんじゃないの?」
 胸にちくっとくることを言ってくる。
「サボった……」
 智也は顔を伏せた。
 言い分けなんてきっと通用しない。嘘を言ったところできっとばれてしまう。なら、初めから正直に言った方が、きっと良い。
「感心しないな」
 そう言った遼平の声は非難されているようで、
「だって、どうしても会いたかったんだ」
 愚痴がぼそっと零れる。
「哲平が携帯を取り上げたって聞いたから……」
 連絡取れる手段がなくなって不安なことを分かって欲しいと智也は思った。

「だからって、学校をサボって良い理由にはならないだろ」
 遼平の声が冷たく感じた。
「だって……」
 不安だった。もうこのまま会えなくなるかもしれない、と思った。
 だから、会いたかった。

「試されるんじゃなかったのか? 俺が信じられない?」
 遼平が溜息を零す。
 智也はきゅっと胸が痛くなった。
「ごめんなさい……」
 来ちゃいけなかったんだ、と智也は思った。
 たった一日声を聞けなかっただけで会いに来てしまうなんて試される以前の話で、自分が情けなくなってきた。
「帰る」
 どんなに会いたくても今はじっと待たなきゃいけないんだ、と思った。
 そう、会いに来てしまったってことは遼平を信じられないってことだ。好きな人を信じられなくなったらその関係だって危うくなる。
 智也が踵を返そうとすると、手首を掴まれた。
「待てよ」
 遼平の声が追いかけてくる。

「もう会いに来たりしないから、だから、約束忘れないでね」
 試験が終われば会える。もう会えないわけじゃない。
 そう思えたのは、きっと顔を見れたからだ。一瞬でも、笑ってくれたのが嬉しかった。終わりにしたくないから、今はそれで我慢しようと思った。

「自分の用件だけ終わらせたら、さっさと帰るつもりか?」
「だって、遼平さんが――」
 文句が口から出そうになる。感心しないとか、信じられないのかとか、非難したのは遼平だ。
「バイトが入ってるから時間はあまりないんだ。漫画喫茶でも行こう」
 掴んだ手首をそのまま引っ張られた。
「あ……」
 それは不意のことで、バランスを崩して倒れそうになった体は遼平が支えてくれた。
「会いに来てくれて嬉しかったよ。だけど、ちょくちょくあって良いことじゃないだろ?」
 耳元で遼平に囁くように言われて、智也は体の力が抜けた。
「電話だってできなくて、しなかったわけじゃない」
 遼平は言いながら、しっかり立てと目配せしてくる。
「だって、携帯が無かったら……」
 番号が分からないはずだ。
「とにかく、駅まで行こう」
 遼平に促されて、智也も足を出した。


 駅前のバスのロータリーに着くと、
「ここで、座って待ってろ」
 遼平がベンチを指す。
「うん」
 智也は大人しく遼平の言うことを聞いた。学校をサボってしまったことは負い目に感じていて、これ以上遼平を怒らせたくはなかった。
 どこへ行くのか離れていく遼平を視線で追うと、電話ボックスの中へ入っていく。
 しばらくして、ポケットに突っ込んでいた智也の携帯が震えた。急いで、取り出して開くと、公衆電話の文字があった。
 ――え?
 ラインを繋ぐと、
「智也?」
 ついさっきまでは生で聞いていた遼平の声に繋がる。
「覚えていてくれたの?」
 智也が言うと、電話ボックスの遼平が顔を向けてきた。
「当たり前だろ。これだけは忘れないさ」
「じゃあ、なんで、電話してくれなかったの?」
 文句がでる。
 外に出れば哲平の目は誤魔化せたはずだ。
「次はいつできるか分からないだろ? 切れなくなる。それに、声だけじゃ物足りなくなるさ」
 遼平の声の後、突然ラインが切れた音がした。
 電話ボックスを出た遼平が来いよと手で呼ぶ。智也はベンチを立つと、遼平のところへ駆け寄った。
「行こう。時間がない」
 遼平がひとつのビルを示す。三階の窓に『漫画・インターネット』と書かれたパネルが貼り付けられていた。


 薄いカーテンを引くと、小さな二人だけの空間ができた。
 遼平が肩を抱いてきて、そのまま顎を取られると唇を塞がれた。
 昨日一日を挟んだだけなのに、すごく久しぶりなキスのような気がした。遠慮がちに舌を忍び込ませてきたように感じたのは、ここが完全に個室じゃないから だと思う。
 仕切られる壁とカーテンは上に隙間があった。下手な音をたてたら何をしているのか分かってしまいそうだ。
 それでも、ポイントに触れられて体の力が抜けてしまいそうになった。意識がふわふわしてきて、いつの間にか遼平に抱きかかえられるように椅子に座りこん でいた。
「あの時は途中だったからな」
 遼平が耳元で囁く。
「うん」
 哲平が帰ってきたのは分かっていても、離れたくなかった。
「どれくらい時間あるの?」
 遼平はこの後バイトだと言っていた。
「三十分位かな」
 遼平が時計を見る。
 ――それだけ?
 不満が零れるけれど、それだけでも会えて良かったと思った。

「どうされたい?」
 唇が首筋を這う。
 智也はTシャツをズボンから引き抜くと、背中へ手を回した。
「触れていたい」
 智也は遼平の体温をそのまま感じる背中を撫でた。
 着ているものを邪魔に感じて、でも、だからと言って身包みはぐわけにもいかない。薄いカーテン一枚で隠された世界は人が起した小さな風にも破られてしま う。
「好きにしていいよ」
 遼平がふっと笑う。
 ――ホントにいいの?
 そんな言葉が浮かんだけれど、ただ、ぎゅっと抱きしめた。
 不思議だった。どうしたらいいのか分からなくて、じっとしていられなくて、焦りのような気持ちが心を支配していたのに、どこに影を潜めたのか、今はまっ たく感じなかった。

 三十分という時間は神様が意地悪して時間を早めたんじゃないかと思えるほど短くて、肌に触れていた手を離した途端に寂しさが心の中に広がった。
「試験がんばったら、何でも言うこと聞いてやるから」
「ホントだよ」
 今は信じるしかないのだろう、と思う。
「時間みつけて、電話するようにするよ」
「うん」
 やっぱり声だけでも聞きたい。
「だから、もうサボったりするなよ」
 ちくっと注意された。
「うん」
 少し反省した。
 今思うと、なぜ哲平に嘘をついて学校までサボってしまったのか分からなかった。
 少しでも長く居たくて、遼平のバイト先の駅まで付いていった。改札の内側から何度も手を振って、遼平も何度も振り返ってくれて、最後には、もう帰れと、 手で払われた。
 でも、それがなかったら、戻ってくるまで待っていたかもしれない。
 姿が見えなくなって、寂しさがまた増えて、けれど、その中に小さいけれど温かいものもあった。
 「がんばろっ」
 智也は胸で小さく拳を握った。

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