陸と大輔
道に転がっている石を、陸は訳もなく蹴飛ばした。
口が自然に尖ってくる。おもしろくない。こんなのってあり?って思う。やっと戻ってきたら、前の彼女とよりを戻してたなんて。
たった、数ヶ月しか経ってないのに。大輔の気持ちなんてそんなものだったのだと思う。公園のブランコが目にはいって、そこを目指すと座ってキコキコと小
さくこいだ。
こんなことって考えていなかったなあと思う。
そういえば、「おかえり」って言ってもらってない。でも、あの様子じゃすっかり忘れているだろう。
これからどうしようかと空を見上げた。親元に帰るには財布も持ってきていない。どのみち荷物があるのだから、一度は大輔のマンションに行かなきゃいけな
い。勢いで飛び出してきちゃったけど、今度は帰るタイミングが難しそうだ。
(どうしよう)
他に行くところもなくて、陸はキコキコとブランコをこいでいた。
どれほど時間が経っただろうか、目の前に人が立っていうことに気が付いた。顔をあげると早紀だった。
「もう、あんな情けないやつ放っておいてカラオケでもいかない?」
先ほどとは違う険しい表情をしている。喧嘩でもしたのかなと思った。なら、原因はきっと自分だと思う。
「何かあったんですか?」
一応聞いてみた。面白くないとは思っていても、カラオケに行く気にはなれなかった。
「じゃ、どうして家を飛び出したの?」
反対に聞かれて答えに困った。しばらく家を留守にしていたなんて言えない。代わりにノインが居たはずだ。
「記憶をなくしていた時のことは覚えてないのでしょう?」
そう付け加えられて、ノインは記憶を失っていることにされていたのかと思った。なるほどそれなら、誰も怪しまない。陸は小さく頷いた。そして、「みた
い」と付け加えた。
「で、誤解したんでしょう?」
早紀が言う。誤解かどうか分からないけれど、別によりを戻したわけじゃなかったのかなと思った。
「それが分かってるのに、追いかけもしないなんて、その理由が、安心して力が抜けて体が動かないなんて言ってるわけよ。なんなのあれ」
ずいぶんな言い草で、怒りの度合いが分かるようだった。つまり、大輔はすごく心配してくれていたらしい。
「おまけに、陸が本当に好きなのは俺じゃないとか言うわりに、陸はあんなこともこんなこともしてくれるみたいな惚気始めるし」
「えぇっ」
陸は思わず笑ってしまった。それは早紀の言い方のせいだと思う。大輔的には笑い事じゃないんだ、たぶん。
まだ引きずっていたわけだ。
「ごめんなさい。僕が悪いんだ」
まだ子供だった。正直に言うことが一番良いのだと思ってた頃だ。ただ、大輔には今でも嘘は言いたくない。それで、分かって欲しいけど、人の気持ちは難し
い。
「そんな風に甘やかせるから、大輔が図に乗るのよ。少し困らせてやればいいのよ。あんなやつ」
なぜか相当に嫌われたらしい。それが嬉しくもあった。ふと、左手に指輪が光っているのが見えた。その視線に早紀が気が付いたらしい。
「二年前にね。良い人がいたの。決心して良かったわ」
早紀が自分の指輪に視線をやる。完全に早合点だったらしい。なら、なんでばつが悪そうな顔するんだよ、と思う。甘やかせすぎと言われてそうかもしれない
と思うけれど、大輔が喜ぶと思うとしたくなるのだから仕方ない。今だって、早く家に帰りたいと思っていた。
「おめでとう、早紀さん。お幸せに。僕も大輔をあんまり甘やかせないようにがんばるよ。ありがとう」
陸は立ち上がると、早紀に頭を下げて踵を返した。少し走って、後ろを向いて、早紀に向かってまた頭を下げて、今度を手を振った。早紀が溜息をついている
ような気がしたけど、気持ちは大輔に向いていた。心配させたんだ、きっと。自分が思うより、ずっと。
家に帰ってドアを開けると、出てきたときとまったく同じように、大輔はダイニングテーブルの椅子に座って、肘をついた手で頭を支えるように視線だけ向け
てきた。そして、そのまま手を下ろし、顔を向けてくる。何か言いたげな目をしていた。
「ただいま」
もう一度言ってみた。
「良かった」
大輔がぼそっと言う。早紀に情けないと言われるのも頷けた。生気が抜けちゃってるみたいだった。
とりあえず、大輔の向かいに座った。
「ごめん。向こうの世界から帰ってくるのが遅くなって」
とりあえず、謝った。正直、巻き込まれただけで自分には非はないと思うけど、心配させたらしいことは今の様子でも分かる。
「――俺は生きた心地がしなかった。無事で良かった」
それは大げさじゃないかと思ったけど、ことに大輔は知らない世界だから心配も大きくなっても不思議はない。
「ひとつだけ言い訳していいか? 」
大輔が聞いてくる。
「早紀にはノインに色々教えてやってくれと頼んだ。最初陸の親元へ預けたんだが、嫌だと抜け出してきて、何も知らないやつを一人で置いておくこともできな
いし、他に頼めるやつが浮かばなかった。だから」
「――そうなんだ」
言い訳も何もそれじゃ仕方なかったんだと思う。まだ何か言いたげに大輔が見てくる。言い訳はひとつと言ったから言い訳じゃないのだろうと思う。
「何?」
聞いてみた。
「どうして帰ってきたんだ? 」
それは、今までの流れとはあまりに違う質問だった。
「帰ってきたかったから帰ってきたんだよ」
「はっきり言ってくれないか。俺はもう覚悟したから」
何か分からない方向へ行く。何の覚悟なんだろうと思う。だいたい、はっきりって何をはっきりさせたいのか分からない。
「質問の意味が分からないんだけど」
「陸こっちに来い」
大輔が椅子を引く。内側に座れということらしい。お言葉に甘えて、ちょこんと座った。体格差は出会った頃とあまり変わらない。すっぽりとそのまま抱き込
まれた。大輔の息が耳にかかる。急に、ちょっと、刺激的じゃないかと思った。
「デールは優しくしてくれたか?」
耳元で囁く。気になるのはそこらしい。
「うん。優しい人だから。いつも傍にいてくれたし、食事も一緒にしてくれたし」
「それだけか?」
「それだけだよ」
別の人とはアクシデントがあったけど、それは黙っておこうと思った。
「好き、なんだろ?」
声が低くなる。
「うん。好きだよ。だけど、今は友人としてだよ」
「なんで変わったんだ」
「大輔と出合ったからだと思うよ」
「俺は身代わりだろ?」
「うん。最初はね」
少し違うと思ったけど、細かいことを言い出すと面倒そうだからやめた。身代わりとかじゃない、そのものだと思ったんだ。
「今は?」
「言ったことを信じるの?」
そう言ったら大輔が黙った。言葉は便利なものだ。言ったことが本当か嘘かのスタンプが押されるわけじゃない。相手を信じるか信じないか、その上に、相手
の身を思ってなんて面倒な言い訳まででてくる。
言葉の代わりに大輔がぎゅっと抱きしめてきた。
「俺はノインを一回抱いた」
大輔の告白に陸は言葉がなかった。
「デー
ルに会いたいとノインが泣いていた。その姿が陸に重なった。陸に泣いて欲しくなかった。無意識だった。気がついたら。こうやってノインを抱いていた。泣か
ないでくれと声もかけた。陸も泣いているのかもしれないと思うと心がぎゅっと掴まれるような痛みがあった。でも、できたのはそこまでだ。唇を重ねることも
体を重ねることもできなかった。陸と陸に似てるだけじゃ違うのだと実感した」
なんだ――陸はほっとした。そして、振り向くと、大輔の唇に唇を軽く重ねあわせた。
「僕はできるよ。なんなら、大輔のこと抱いてもいいよ」
言葉では信じられないから態度で示せというなら、それにのってもいいと思う。
「そういうことを言ってるんじゃない」
大輔が否定する。
「じゃあ、どうすればいいの? どうすれば信じてくれる?」
「お前は俺に全てをさらせるのか?」
「何を今更のこと言うのさ。僕の何を見たいの? 素っ裸になればいい? 中身までかっさばいてみる?」
もうやけだった。
「なんでそこまで言えるんだ? 前にも言ったことがある。お前は俺のどこが良かったんだ? デールに似てるところだけだろ? 」
「最初はね。でも、デールのことだって本当に好きだったのかどうかだって分からない。唯一の味方だと思ったから失いたくなかっただけかも」
「え?」
大輔が驚いた顔をする。
「失
いたくて、それを好きなんだと勘違いしたのかも。だって、人を好きになるってどういうことかよく分かってなかったから、で、思い込んでいただけかも。今
だってよく分かってないかも。理屈じゃないんだよ。大輔。僕はデールより大輔の傍に居たかったから帰ってきたかったし、帰ってきたんだ。僕だってよく分
かってないよ。なんで大輔の傍にいたいと思うのか。大輔が喜ぶと嬉しくて、大輔が悲しい顔すると悲しくなってくるのか。その気持ちがいつまで続くのかも正
直分からない。でも、この数ヶ月、ずっと考えてたのは大輔のことだし、大輔の所に帰りたいってことだった。それじゃ、だめ? 」
「ダメとかそういうんじゃなくて、陸、お前は俺に何を期待してるんだ」
「そんなの分からないよ。考えたことないし。今までの大輔でいてくれたらいいよ。それだけだよ。じゃあ、大輔は僕に何を望んでるの? 」
「何も望まなくてもお前は十分にやってくれてるだろ」
「大輔にとっては、ご飯作ってくれたり掃除や洗濯することなの? もし、そんなことができなくなったら僕はいらない?」
「お前は居てくれるだけで気持ちが和むんだ」
「僕
だって同じだよ。ねえ、もしかして、僕は帰ってきたくなかったってことにしたいの? まだデールが好きで、大輔を代わりにしてるって、そう大輔が思いた
いの? なら、それでもいいよ。僕にとって大事なのは大輔が傍にいてくれることだから。その理由が身代わりだってことがいいんならそれでいいよ」
もうそれでいいやという気がしてきた。きっと今までずっとそう思ってきたっていうなら、何も変わらない。
大輔がはっとした顔をすると、下を向いた。
「――俺は怖いんだ。お前がいなくなることが」
ぼそぼそと小さな声を出す。
傍にいたいって言ってる時にいなくなっちゃうって話になるのかなぜかよく分からないけれど、大輔的に理由はあるのだと思う。理由はある、いつも。
不安は誰にしてもあるはずだ。一分先のことでも予想がつかない。
いなくなったことがそんなにショックだったのかな――と思った。
「いつだってそうだ。俺はお前を助けてやることができなくて、いつもお前に辛い思いをさせて、いつ見限られてもおかしくないだろ? 」
いや、それは違うと思ったけれど、話の続きを聞いてみることにした。
「お前が俺に拘ることといえば、デールに似てる容姿しかない」
「だったら、帰ってこないよ」
「だから、なんで帰ってきたんだ?」
話が一周した。そして、きっと、大輔が前提条件を間違ってる限り、話は終われない。ちょっと方向を変えてみようと思った。
「約束を守ってもらうと思って。大輔が絶対守るって約束してくれることなんて珍しいから」
覚えてるんだろうかと思う。
「そんなこと言ったか?」
とんでもないことを言い出した。
「うん。携帯が繋がった時に」
絶対なんて、そんなもんだ。
大輔が何かを思い出そうとしているように視線を動かす。そして、はっとしたような顔をした。思い出したらしい。
「それだけのために帰ってきたのか?」
「うん」
「好きなやつともう会えなくなるかもしれないのにか?」
「大輔の方が大切だから」
「約束を忘れちゃうようなやつでもか?」
「僕は暇だったけど、大輔は忙しかっただろうから仕方ないと思うよ。でも、早紀さんに大輔を甘やかすから情けないやつになったって言われちゃった」
「早紀に会ったのか?」
大輔は驚いたみたいだった。
「うん。なんかすごい怒ってた。だから、あまり甘やかさないようにするって言ったんだけど、大輔が喜ぶかなあとか思うとしたくなっちゃうし、大輔が悲しむ
かなって思うとできないし、無理かも」
「なんだそれは。俺とお前のどっちが保護者か分からないな」
「大丈夫だよ。もうすぐ保護者じゃなくなるから。対等は無理にしても同じ社会人になるんだから」
「そうやってお前は成長するのに、俺だけ同じところにもいられないな」
大輔の声が少し変わった。
「大輔はそのままでいいよ。情けないところも全部好きだから。ちょっと面倒だって思うこともあるけど。うん。でも、許容範囲内だよ」
大輔がふっと笑う。
「許容範囲内か」
「うん。大輔だけだよ。他にはもっと厳しいんだ」
「そうか」
大輔は呟くように言うと、首筋に顔を埋めてくる。くすぐったくて、少し身じろぎをした。
「お前は帰ってきたんだもんな。誰に強制されたわけでもなく。それが答えだよな」
「うん。そう、大輔に約束守ってもらうためにね」
ちょっと催促した。
「ありがとう、陸。帰ってきてくれて」
えっと、それじゃない――と思ったけれど、その台詞を言える気持ちじゃなかった。大輔の息を感じて、体が熱くなってくる。体に回された腕も触れる背中も
足も、その存在を主張する。
「――おかえり、陸」
首筋をなぞるように声を感じて、体の奥が熱くなってくる。声だけじゃない。体全身が包まれるような気がした。ちゃんと、大輔の心の中に帰ってきたんだと
思う。
「ただいま」
その言葉は大輔の唇に吸い取られていった。
Fin.