いつも同じだったデールとの朝一番の会話が今日は違った。
「で、これがお前のやりたいことなのか」
デールの顔は不服そうだった。
「だめ?」
「いや、そういうわけじゃないが」
一応納得したような返事をするが、顔には一言も二言も言いたいと書いてあった。
「僕には知識がまったくないから、一から始めないと」
そう言いながら、開いたページは今までの膨大な研究資料を年代順にソートしたものだ。ひとつづつ、資料を読んで理解したいと言ったら、デールの顔色が変
わった。
「テーマの見直しのために、今までの資料から問題があったものをピックアップして、その改善と必要性について考察し、有意義だと思われるものを選び出す
――その作業はそう簡単に終わらないと誰もが思うよね。同時に勉強するための時間稼ぎができるよ」
「すごく地道な作業だぞ。だいたい資料を読むだけでもどれだけの、何年、何十年かかるか分からない」
「全部を真面目にやるつもりはないよ。最初は真剣にやれば後の方は飛ばせるものもでてくるだろうし」
「真似事をするんじゃなかったのか?」
「真似事だよ。それらしくできることって言ったらこんな事しか思いつかなかっただけなんだ。だって、デールも言ったじゃない、何年も何十年もかかるって。
その間成果を追及されることはないでしょ」
「それをしていることにするだけじゃないのか?」
「でも、その都度報告は必要でしょう? 実際やってた方が説得力があるよ、きっと」
「俺のためにか?」
デールのその問いに陸は顔が緩んだ。
「安心していいよ。僕のためだよ。遊んでばかりじゃ落ち着かないって言ったでしょう。働かざる者食うべからずっていう言葉があるんだ。こつこつやるのは嫌
いじゃない。でも、デールが嫌なら違うことを考えてみるけど」
「その必要はない。お前がいいなら、それでいい」
デールは断言すると、隣の席に腰掛けた。
「こういうの嫌い?」
少し気になった。
「どちらかと言うと、な。でも、そんなことよりも、お前がやりたくもないことをやらなければいけないと思っているんじゃないかという方が気になる」
「ぼくはね、なんかわくわくする。だって新しいことを知れるんだ」
「なら、いい」
デールの顔が緩んだ。
――ごめんね、デール
陸はデールの横顔に心の中で言った。敵を欺くにはまず味方からという諺もある。真面目なデールは真面目に報告するだろう。そして、それはきっとマキの耳
にも届く。
立場関係はよく分からないけど、マキの方が上なのだろう。わざわざ過去のものに焦点を絞ったのは、廃棄されたものと関わりを持ちたかったこともある。実物
が見たいなと言ってその希望が通るかどうかは分からないが、良い理由にはなる。何度か部屋に行くことができれば、入り方のヒントが分かるかもしれない。自
由にとは行かないまでも、最初に信用を取り付ければある程度の自由はもらえるかもしれない。
かもしれないばかりで、実際どうなるかは分からないが、一番近い方法なのではないかと思った。
「本当に、最初からやるのか?」
デールが確認してくる。
「うん」
どんな研究が行われていたのか、まったく興味がないわけではなかった。
予想はしていたことだけど、研究報告を読むということは簡単じゃなかった。まず、専門用語でつまづく。理解したいと思うと、何度も繰り返し読まなきゃ分か
らないことも多い。デールは半ば呆れているようだった。そう、ここの常識ですら知らない。いくつか読むとまた問題にぶち当たる。同じものに対して言ってる
ことがまるで違うのだ。それでも、結果がちゃんとでていることに驚く。その点をデールに聞くとよくあることだと言う。実際は良く分かっていないことが多
い。諸説あるのはどこでも同じなのだと思った。
デールが会議に行くと言った時、マキのことが浮かんだ。前回のことがあるから気まずい気持ちもあ
るけど、そんなことは言っていられない。廃棄案件のものがひとつあった。あまりに昔で残っているのか分からないけれど、それより、この間のことがあってす
ぐに見たいというのは、考えを読まれてしまうかなとも思う。今日のところは興味を持っているとだけ言っておこうか、しかし、その理由もきっと聞いてくる。
マキは鋭い。だから、下手なことを言うと、計画が全てダメになってしまうかもしれない。慎重にしなきゃいけないと思うけど、どうしよう。デールがいない
間、はやる気持ちと諌
める気持ちがまじりあって、なかなか結論もでなかったけれど、マキも現れなかった。
今日はずいぶん遅いなあと思いながら、聞えたノックの音にどうしようと思いながら、顔を見せたのがデールで安堵と不満が入り混じった複雑な気持ちになっ
た。
「どうした?」
デールが怪訝そうな表情を見せる。
様子が変だと思ったらしい。
「あ、ううん。何でもない。今日は早かったね」
まさか、マキを待っていたなんて言えない。
「いつもと同じだが」
「あ、じゃあ、夢中になっていて時間が早く感じたのかな」
そう言った後でしまったと陸は思った。ほとんど進んでいない。
近づいてきて画面を覗きこんだデールの眉が動いた。進んでいないことがばれたのだと思う。
「どこか、ひっかかるところがあったのか?」
「ごめん。考え事してた」
陸は早く白旗をあげた。辻褄のあわない嘘は守ろうと思えば思うほど嘘が増えて信用をなくす。
「言えないことか?」
そう言ったデールは前回のことがひっかかっているのだと思った。納得したようで納得していない。何か隠し事をしていると、そう思っているのだろうと思
う。
「ど
うしようかなあと思って。ひとつ興味があるものがあって、それにしちゃうっていうのもありかなって。読んでいっても、これから興味がでるものがでるとは限
らないし。って考えていたんだけど、でも、やっぱり、まだ読む量としては少ないかなって。先にもっと面白そうなものがあるかもしれないし」
「なら、最初からそう言えば良かっただろ? 考え事してたって」
デールが探るように見てくる。つまり、先だってのことで信用をなくしているらしい。
「さぼってたって思われるかなって。そんな考え事は夜すればいいんだし」
「さぼっちゃいけないのか?」
「え? そういうもんじゃないの? 結局結論なんてでなくて無駄な時間になっちゃうんだし」
「それは無駄じゃないさ。というか、無駄な時間などないと習った。全てが結果に繋がる、とね。考えるのはいいことだ。その中にどんなヒントがあるか分から
ない」
「うーん、それはそうかもしれないけど」
陸が口をとがらせたら、デールが笑って頭を撫でてくれた。もうそんな歳じゃないのに、と思いながらも触れられることが心地よかった。
「少し休憩しよう」
そう言いながらデールがお茶を飲む仕草をする。陸は素直に頷いた。
ダイニングでは向かい合って座るのがいつものことだけれど、それぞれ飲み物を手にすると、デールは横に座った。
「あまり根をつめることもない。のんびりやればいいんだ」
「うん」
陸は素直に頷いた。横にいると距離が近い、声も近い。向かい合って座るより、気持ちが繋がって感じる。嘘を言ったら息づかいでばれてしまいそうだ。
「時間はいくらかかっても構わない。お前が興味をもてると思ったことをやればいい」
「うん」
「誰もお前を責めたりしない。だから安心していい」
「うん」
返事をしながら、なんとなくいつものデールとは違う気がして、言ってる内容は前に言われたことと変わらないのに、誰かに言わされているのかなと陸は思っ
た。そして、それはデールの仕事の部分だから仕方のないことは思うし、自分にとって悪いことでもないし、だからデールは言うのだろうとも思う。
デールは言わなきゃいけないことを言ったからか、ふーと小さな息を零すと、「他に何か食べるか?」と聞いてくる。陸は首を横に振った。フルーツジュース
はムースのように濃厚だった。
ふと陸は思った。デールではうまくコントロールできないから、マキが来ていたのだろうか。マキは中央の命令には絶対従うように見える。何かを始めそれがプ
ログラム範囲内であるなら、何もそれを是正することはない。ということは、もしかしたら、マキはもうこないかもしれない?
そんな想像をすると、
恋人になれといったのは従わせるための罠だったのかもしれないと思えてきた。恋人になるくらいなら、なんとかするだろうって? 全て計算されて、思い通り
に操
られているのかもしれない。研究会の話もデールとマキが同時にしてきた。二人の繋がっている先の人物が思い描いたシナリオかもしれない。
そうすると困ることがある。廃棄物の置いてある部屋へ行きたいがために始めたことだ。そこにはマキがどうしても必要だった。
マキを呼ぶことはできる。用があったら呼んでくれと言われていたし、来て欲しいとデールに頼んだらすぐに来てくれた。でも、こちらからは呼びたくない。こ
ちらから話題を切り出したくない。先を読まれて拒まれてしまうかもしれない。マキの方から来て、マキの方から言って欲しいのだ。恋人になれと言ったよう
に。
甘かったかもしれないと陸は思った。向こうは一枚も二枚もうわてのように見えた。
他に策があるわけでもなく、始めたこと
をやめる理由もなく、時には苦痛であっても、一ページ一ページ読んでいけば報告書の解読は進んでいく。何事もなく日にちは過ぎていき、デールが仕事で外に
でている時にもマキは現れずに何日もすぎていった。こちらに来てからは三ヶ月ほどが経っていた。時の流れは早いのか遅いのか分からない。ただ、なんとかし
なきゃいけないと思う焦りだけはあった。
その日、午後から調査が入っているとデールが言った。遅くなるかもしれないから直接家に帰るつ
もりでいることと、何か用があったら呼び出してくれと言われた。呼び出しがあったらすぐに戻ってくるとも言っていた。大丈夫だと陸は答えた。何も急ぎの用
などない。ひとりぼっちの食事が少し寂しいだけだ。困ることと言えば部屋から出られないことだけで、特に部屋から出る必要はない。
部屋に一人
ぼっちになると、背伸びをしてみた。ちょっと体を回して運動もしてみた。運動不足だよなあと思う。まあ、運動したきゃする道具はあるんだからやればいいの
だけれど、なんとなくそんな気分になれないだけだ。ふと、立ち上がって口ずさみながらラジオ体操第一なんてやってみた。子供の頃に繰り返しやっていたから
か、最初から最後まで滞りなく終わり、で、席についた。さて始めようかと思った時に、「今のはなんだ」と声がした。どきっとして振り返ると、部屋の壁にも
たれかかったマキの姿があった。
一瞬空気が止まった。もう来てくれないかも知れないと思った人だった。