涙が止まらなかった。なんで泣いてるのかも分からなかった。ただ、悲しかった。暗い気持ち で沈んでいると、どのくらいの時間が経ったのかデールが帰ってきた。
「どうしたんだ」
 デールが駆け寄ってくる。デールの顔を見たらまた涙が零れた。
「何があったんだ」
 デールが顔を覗きこんでくる。陸はただ首を横に振った。
「どうしたんだ、お前が泣くなんて。どこか痛いのか? それとも――」
  困惑顔で見てくるデールに陸は首を振ることしかできなかった。治まらない気持ちはデールの手を探り握りこんだ。少し気持ちが治まった気がして、おそるおそ るデールの肩に腕を回した。体が触れて温もりを感じる。心臓の音が伝わってくる。デールの手が躊躇いがちに背中に回されたのを感じた。気を使ってくれてい るらしいことも、戸惑いも伝わってくる。
「ごめんなさい。少しこのままで居て」
 他に気持ちを落ち着ける術を知らなかった。納得したらしいデールが腰を落としぎゅっと抱いてくれた。肩口に顔を埋めて、陸は目を閉じた。
 何かがあったわけじゃない。何も変わらない。デールは変わらず優しいし、辛いことや酷いことをされたわけじゃない。腕の中は気持ちよくて、意識は薄れて いった。

 目が覚めたとき、陸はベッドに寝ていた。脇にはデールが腕を組みながら座っていて、難しそうな顔をしていた。気がついたらしいデールが笑顔を向けてく る。
「あの姿勢じゃ辛そうだったから、運んできたがダメだったか?」
 最初にかけてくれるのは気遣った言葉だ。外はもう暗くなっていたのが分かった。
「ううん。ありがとう。ごめんね」
 陸は体を起すと、デールに笑いかけた。
「何があったのかは、言えないのか?」
 デールが遠慮がちに聞いてくる。気にしてくれているらしい。
「何かあったわけじゃないんだ。ただ、デール。僕に言わなきゃいけないことは遠慮なく言ってよ。こんな遊んでばかりじゃいけないはずだよ。能力は全然違う んだからノインみたいなことはできないけど、前にマキが真似事をすればいいって言ってたし。どうせ暇だし。だから」
  思わず前にマキが言っていたと言ってしまったのは、デールがいない間にマキが来たことを知られたくないらしい。何もなかったわけじゃないけれど、あれは事 故だと思ってしまえばいいだけのことだ。ただ、感触を思い出してしまうと辛くなりそうで、気を紛らわそうと天井を見上げた。
「そんなことを気にしてたのか?」
 拍子抜けといった感じでデールの顔が緩む。
「やっぱさ。なんとなく気がひけるし」
 帰ることを諦めたわけではないけれど、ここに居る以上ここでのルールは守るべきだとは思う。できる範囲でってことになるけれど。
「お前が望んだわけでも、原因がお前のわけでもなく、お前が悪いわけでもない。なのに、お前に何かを要求することなんてできない。したいことをすればい い。誰も文句は言えないはずだ」
「文句言われても困るんだけど、何かしたいんだ。でも、僕はここのことはあまりに知らなくて、文章を一ページ読むにも時間がかかるし、だから、手伝って欲 しいんだけど」
「お前がそれを望むのか?」
 デールが怪訝そうな顔をする。違うだろ?と顔が言っていた。
「何かを調べたり実験したりするのは好きだよ。向こうでもやってた。だけど、レベルが違いすぎて話にならないと思うけど。帰れることになったら、何か新し いことを学んでいけたらそれはそれで嬉しいし」
 最後の言葉は本当だ。それが帰って応用できるかはまた別だけど。
「何かしてた方が楽しいよ。暇なのは飽きちゃった。だけど、何からやっていいのか分からない」
 最後の一押しのつもりで陸は言葉を続けた。何かを始めること――それは無言のうちにマキの申し出を断ったことになる。
「お前がそれがいいなら」
 デールは釈然としないながらも納得してくれたようだった。
「とりあえず、ご飯食べに行こう? お腹すいちゃった」
 そんな気持ちになったのは、きっとココロの中がすっきりしたからだ。違うと分かっていてもやっぱり似ている。触れていると安心したのはどうしてもデール には大輔がかぶるからだと陸は思った。

「研究会に出てみるか?」
 食事をしながらデールがマキと同じことを言った。今日はデールがパスタ料理とスープで陸は白身の柔らかい、たぶん魚、を野菜と一緒に煮たものにした。緑 や赤や黄色に白と色とりどりで味は甘酸っぱい。
「何、それ」
 一応マキから聞いてはいたけれど、もう一度聞いてみた。知っているとは言いづらかった。どこで知ったと聞かれたら答えに詰まる。今日マキが来たことを言 わなければいけない雰囲気になる。
「ここにいる研究者が集まる会だ。参加は自由だし、何かをしなければいけないこともない。発表したいもの、意見を聞きたいもの、はプログラムに登録する し、ただ聞いているだけでも良い。何かヒントが見つかるかもしれないし、友達ができるかもしれない」
 説明もマキと似た様なものだった。
「こ の建物内なら移動はかなり自由だ。部屋から自由に出ることはできないが、基本どこでも入ることはできる。例えば、気のあった者を訪ねて食事をすることはで きるし、相談や雑談や、とにかく気晴らしになることはできる。部屋を出たければ呼んでくれればいいし、迎えに行く時間を指定してくれるなら迎えにも行く」
「友達を作った方がいいって思ってるの?」
 デールからそう持ちかけられることはちょっと複雑だった。そんなつもりはないのは分かるが、食事に付き合うのも面倒だから誰かと済ませてくれと言われて いるように思ってしまう。
「ノインは一、二回出たことがあるみたいだが、興味を持たなかったみたいだ。研究の邪魔になると言われたらそれ以上勧められない。飽きたというなら少し行 動範囲を広げてみてもいいんじゃないか。もちろん、陸が望むなら俺はずっと付いている」
 ――ずっと付いている。
 その言葉は心強かった。
「ありがとうデール。でも、まだ、そういう覚悟っていうか勇気はでないや。だって、ノインとして出るわけでしょ。そのためには僕は知らないことが多すぎ る」
 そう、知らないことが多すぎる。
「ただ、聞いているだけでもいいさ」
「でも、何か向こうから聞いてきたら?」
「心配しなくていい。お前を守るのは俺の仕事だ」
 それはさらっと流すような言葉だったけれど、陸の胸には重く落ちてきた。
「かっこいいね、デール」
 デールの役割を持つ人は皆同じように思い同じように行動するのかもしれない。けれど、その一言だけで、傾いてしまうだろう気持ちがあった。陸はノインが デールを欲し、離したくない訳が分かった気がした。
「そんなことはないさ。後悔ばかりだ。今も。また、陸に辛い思いをさせることになってしまった」
 デールが視線を落とす。
「デールが悪いわけじゃないよ。それに悪いことばかりじゃないし。少しこの状況を楽しもうかなって思ってきたところだし。ご飯は美味しいし、ベッドは気持 ちいいし、空調が効いてる室内は快適だし、デールはかっこいいし」
 最後の言葉にデールがふっと笑みを零した。
「お前はいつでも前向きだな。さっき暗い顔をして泣いていたなんて信じられないよ」
「あれは――自分が幸せだなって思ったら苦しくなったんだ」
 自分は守られてる守ってくれる人がいる。だけど、皆が皆そうなわけじゃない。
「なんでだ? 幸せに思えるなら嬉しいはず、じゃないのか?」
「やっぱ、自分だけじゃなくてみんなが幸せになれるといいと思うよ。なんていうか、全てが自分の思い通りになるわけじゃないけど、がんばったら幸せになれ るって思いたい。でも、それってただ思い描くだけで現実とはずいぶん乖離しているものかもしれないんだけどね」
「誰か不幸だと思うやつがいるのか?」
 デールが不思議そうな顔をする。
「えっ と、誰かってわけじゃなくて、ここで色んな研究が行われていて、そこには少なからず理不尽なこともあったのかなって思ったりして、考えても仕方ないことな んだけど。だから、ごめんなさい。すごく心配かけちゃって。だけど、これから誰かを助けることができるようなことを考えていけたらいいなとは思うんだ」
 マキを救う方法はないのだろうかと思う。そして、それはめちゃくちゃお節介なことかも知れないとも思った。
「僕が実験棟と呼ばれたところに居たとき、並びの部屋の人たちの姿をちらっと見たことがあるんだ。その時、マキは失敗作だって言ってたんだけど。研究結果 が全て幸せなものとは限らないよね」
 陸が付け加えると、デールがああと納得したような顔をした。
「そ うだな。確かに不幸なことがないとは言えない。だけど、実験は人を無理矢理捕まえてきてやるわけじゃない。本人も納得した上か、生まれた時から他を知らず 自分が不幸だとは知らないかのどちらかだ。その点、陸は何も分からず突然連れてこられたのだから、お前が他人の事を慮る必要はないよ。お前が望むなら、で きる限りのことをするから、だから、むしろお前の方が何でも言ってくれ」
「そっか」
 陸の胸の中にデールの言葉がすとんと落ちてきた。そうだった。前回も今回も都合なんて関係なく突然連れてこられたのだった。そういう意味でいうなら自分 が一番不幸かもしれない。
「うん。じゃあ、自分のやりたいようにやる」
 と言っても、とりあえずは研究テーマを決めなきゃいけない。それが一番の難関にも思えた。

  ベッドの中でまどろみながら、陸の頭の中には大輔の姿が浮かんでいた。今頃どうしているだろうと思いつつ、ノインの姿が脇に浮かぶ。姿も声も仕草も自分に そっくりだ。最後に切れてしまった通話が悔やまれた。しばらく、何も音沙汰なしで、それは忙しい人だから仕方ないとは思うけど、忙しくても、1分でも2分 でも時間を作ることはできるだろうに。声を少しでも聞いたら安心できるのに。気持ちを確かめあえたらそれでいいのに。そんな必要はもうないってことだと勘 ぐってしまいたくなる。今となっては確かめることは無理だ。いっそ帰らない方が穏やかな日々を過ごせるのかもしれないけれど、ずっともやもやした気持ちを 抱えているよりは帰ってはっきりさせたいし、やっぱり、ここは自分の居るところではないと思う。
 じゃあ、どうするか。マキの恋人になると言って部 屋の入れてもらって装置を動かせて帰ったとしてもそれだけじゃ済まない。まず、ノインを呼び出して説得して入れ替わることが一番穏便だ。それをマキに気づ かれずにやらなきゃいけない。この建物内にあるという廃棄物を置いてある部屋はどこにあるのだろう。そう思いながら、陸の意識は遠くなっていった。

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル