テーブルの上には、おにぎりやサンドイッチやカップ麺に缶詰やスナック菓子が山になってい た。
 戻る途中店の前 に車を止めた大輔は大きなビニール袋3つほどぶら下げて戻ってきた。大輔と陸の住んでいたマンションに戻ると、テーブルの上に買ってきたものを並べ、お茶 やジュースなどの飲み物は冷蔵庫に入れ、「少しの不自由は我慢してくれ」と言った。三食付きで世話してくれるところを出てきたのは自分だから仕方ないと思 う。
「なぜ、陸の家を出てきたんだ?」
 と聞かれて、
「誰かがずっといるのが嫌だったんだ」
 とノインは答えた。 呆れた顔をした大輔はそれ以上のことを聞いてはこなかった。カップ麺用にとお湯を沸かしてポットに入れて、コンロの使い方を教えてくれた。そして、シャ ワーを浴びて、大きめのショルダーバッグに着替えを詰めると、「いつ戻ってこれるかは分からない。着替えは陸のを使えばいい」と言い残して家を出ていっ た。

 時折、車の走る音が聞こえる。それだけだった。陸のベッドの中に滑り込み、ニ、三度寝返りをうった。体が回復してきているのか、それほど眠いということ はなかった。それでも、暗闇の中に意識は吸い込まれていった。


 あれから何日経ったのだろうと思う。
  ノインはテーブルを前にして椅子の上で膝をかかえた。目の前のテーブルの上はずいぶんすっきりしてきていた。カップ麺と小さな缶詰が二つ。冷蔵庫に入って い たお茶もジュースもなくなった。誰もいないのは確かにほっとするけれど、こんなに放っておかれるとは思っていなかった。何もすることがなくて汗をかくわけ でもないから着替えはいいとしても食料はどこかで調達してこないといけない。かといって、その調達方法は分からない。
 朝からぼぉっとしていて、そろそろお腹がすいてきたと思った時だった。外で足音がした。それもかつんかつんと甲高い珍しい音だった。そして、ピンポンと ベルの音が家中に響きわたった。

 ――え?
 この家に誰か来たらしい。けれど、家の主は二人ともいない。
 しばらくすると、もう一度ベルの音が鳴った。ノインは椅子から立ち上がりかけて、また膝をかかえた。家の主はいないのだ。陸だと思われたら面倒なことに なるかもしれない。しばらく静かだった。帰ったのかなと思った頃、ドンドンとドアを叩く音が聞こえた。
「陸くん、いるんでしょ? 大輔から頼まれたの」
 それは、女の人の声で今まで聞いたことはなかった。大輔の使いなら香織先輩が思い浮かぶけれど、違う。
「ちょうど昼頃だし、いいもの買ってきたのよ。開けてくれない?」
 と、女の人は中に人がいると信じているようだ。当たり前かもしれない大輔に頼まれたというのだから。
 ノインはゆっくりと椅子から立ち上がって、玄関まで行くとドアを開けた。とたん、肉の焼けた香ばしい匂いが鼻をかすめた。
「良かったわ。開けてもらえなかったらどうしようかと思った」
 眉を寄せ少し困ったような表情をした女の人は両手にビニール袋と紙袋を抱えていた。

「私のこと覚えてる?」
 玄関に入って荷物を置くと聞いてくる。
 ノインが首を横に振ると、また困った顔をした。
「仕方ないわね。記憶をなくしたんだって。大輔から、色々教えてやってくれって頼まれたんだけど、とりあえず、腹ごしらえをしよう? もうお昼食べちゃっ た?」
 聞かれてノインはまた首を横に振った。
 彼女は紙袋から大きめの丸いものをだすと目の前に差し出す。香ばしい肉の匂いの正体らしい。
「思い出の品を買ってきたのに」
 意味ありげに言うと、手を取ってきてその香ばしい匂いのものをつかませてくる。
 柔らかい感触と匂いにお腹がきゅっと鳴った。

  「おじゃましまーす」と誰にともなく言うと、彼女は部屋にあがってきて、荷物を持つと少し辺りを見回して冷蔵庫まで一直線に行った。冷蔵庫のドアを開けて 「あら、何もないのね」と呟くように言う。くるっと振り向くと「後で買い物に行こうか」と聞いてきたので「お願いします」とノインは頷いた。大輔の知り合 いらしい。それ以上のことは分からないけれど、何か事情があって帰ってこれない大輔が頼んでくれたのだろうと思った。
「とりあえず、腹ごしらえをしようか」
 と彼女は言うと、袋の中からいくつかの包みと紙製のコップを二つ出す。ソースの甘い匂いがあたりに立ち上った。

「本当に何も覚えてないの?」
 テーブルに向かいあって、怪訝な表情で彼女が聞いてくる。
「たぶん」
 ノインはあいまいな返事をした。
「でも、大輔の名前とかは覚えてたんでしょ?」
「えっと」
 この場合はどう答えればいいのだろうとノインは思った。陸の記憶をさぐった時に少し仕入れた情報はある。
「姉の名前なら覚えてたけど」
 海という名前は印象に残っていた。
「それだけ?」
「あとはよく覚えていない」
 この場合わざわざ思い出す必要はないだろうと思う。
「洗濯機の使い方とか」
「センタッキ? 洗濯するもの?」
 意味からするとそうだろう。
「掃除機の使い方とか」
「ソウジキ? 掃除するもの?」
 同じ理屈だ。
「本当に何も覚えてないの?」
 彼女が呆れた顔をする。
「ごめんなさい」
 思わずノインは謝っていた。
「ううん、謝ることなんてないわよ、ちょっとびっくりしただけ」
「あんぱんとか消しゴムなら覚えてる」
 ふと、陸に会った時のことを思い出した。あの甘ったるいパンの記憶も。
「それは、あんまり関係ないかも」
 ふふっと彼女が笑う。
 初めて会った人だった。ほっそりした体つきに整った顔立ちは容姿から万人に好まれるタイプだと思う。言葉や物腰のあっさりした感じが嫌じゃないとノイン は思った。

  昼食を済ませた後、買い物へと外に出た。久しぶりの太陽と風が懐かしかったが、時折感じる埃っぽさは慣れないと思った。店に入るとカートを引いて欲しいも のをカートに放りこんでいく。どんなものを食べたいかと聞かれても答えることはできなかった。果物や菓子類のそのまま手にして食べるものは知っていたが、 料理の材料になるものは写真や絵でしか見たことはない。少し冷凍しておくわねと言って、あまり迷うことなく、彼女は物を選んでいく。大きなビニール袋4つ ほどの荷物を抱えて10分ほどの道のりを帰ることになった。
「晩はカレーね」
 そう言って、台所でエプロンをつけた彼女は炊飯器に米をセットし、てきぱきと野菜を切り、肉と一緒に炒めると水を入れて煮る。その様子を横でノインは見 ていた。これを自分ができるようにならなければいけないらしい。
「じゃあ。煮てる間に洗濯機をしかけて、掃除機をかけようか」
 と誘ってくる。これも自分ができるようにならなければいけないことなのだろう。
 野菜が煮えて、カレーのルーを入れ、爽やかなスパイスの香りが立ち上った頃、外から足音が聞えてきて、ドアが突然開いた。

 急なことに驚きつつ開いたドアを見ると、そこには大輔が立っていた。
「あ、おかえり」
 帰ってこれないから頼んだのかと思ったら違ったらしい。
 お玉を持ったままの彼女は振り向いて「大輔?」と聞いてきた。コンロからドアは死角だ。ドアを閉めて怪訝そうな顔をした大輔は玄関に置いてある靴に目を 留めた。そして、ノインを見てきた。誰か来てるのか?と言いたげな顔にノインはただ頷いた。大輔が頼んだはずだ。
「誰が?」
 そう言いながら靴を脱いで歩いてきた大輔がコンロの前の彼女を見ると呆然とした顔になった。
「早紀、来てくれたのか」
 それは意外そうな声だった。
「だって、気になったんだもの」
 早紀が不服そうに口にする。頼まれたわけじゃないのかなとノインは思った。
 しばらく大輔は無言だった。見詰め合った二人の間に静かな空気が流れていく。
「ずいぶんと図々しいことを頼めたものだと後悔していた。断られて当たり前だと思ったし。だけど、ありがとう助かったよ」
 大輔が頭を下げる。いつも偉そうにしてるのに珍しい。
「ホント、びっくりしたわ。来てみてまたびっくり。でも、来て良かった。すっきりしないまま気になるだけだもの。今、カレー作ってるの。シャワーでも浴び てきたら? これからのこと少し相談したいし」
 早紀がコトコトとなっている鍋を指す。
「お言葉に甘えてそうさせてもらうよ。安心したら、腹が減ってきた。いい匂いもするし」
 大輔が笑顔をこぼす。そして、一瞬ノインを見てきて視線を伏せた。そしてそのままとおり縋りに肩に手をぽんと置くと大輔は鞄を持ったまま自分の部屋に 入っていった。
 良かった――そう大輔の手がそう言っていたような気がした。

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