窓の外は暗かった。部屋の中も暗かった。陸は一人ぽつんと椅子の前に座っていた。
 数時間前、まだ外から光が差しこんでいる時に、「もう終わりにしないか」とデールは言った。
 時間が経てば人の気持ちは変わる。それは陸自身も感じたことだ。元の世界へ戻れるかどうかは分らない。戻れたとして今と同じ状況であるとは考えられな い。あがいたところでそこにはもう幸せはないかもしれない。ならば大人しく運命を受け入れた方が苦しまなくて済む。
 今日は一人でゆっくり考えると良いと言って、連絡の仕方を教えてくれて、呼ばれたらすぐに来ると言い残して、デールは部屋を出ていった。それから一人誰 にも邪魔されることなく、陸はぽつんと椅子に座っていた。
 ノインでも何年もかかった研究を自分はいったいどれだけの時間をかければできるのか。実際にできるのか。それは同じものになるのか。疑問は次々と浮かん でくる。異世界がひとつとは限らない。違う世界に通じて、今は見知らない誰かを巻き込んでしまうかもしれない。
それでも、もし帰れたとして、大輔はどう思うのだろう。あれほど大好きだったデールが今は遠い。ならば大輔はノインに心を寄せているかもしれない。そう、 今だって――二人のシルエットが脳裏に浮かんできて、陸はおずおずと両腕で自分の体を抱きしめた。
(いやだ)
 二人が抱き合うなんてことは考えたくはない。だけど、大輔がノインに惹かれないとは限らない。
 きゅっと唇を噛みしめると、突然机に置いていた携帯が震えた。
 陸はえっと思って手を伸ばして携帯を握った。携帯を握る手も震えていた。誰からだろう、そう思って見ると大輔からだった。
慌てて蓋を開けて耳にあてた。
「大輔?」
 さっきはこちらからかけようとしたら繋がらなかった。
「陸か? 今大丈夫か?待っていても連絡はないし、どうしたのかと思っていたんだ」
 耳に響く大輔の声はひどく懐かしく思えた。
「装置を持っていかれちゃった。どうしたらいいのかわからないんだ」
 嘘を言ってもしかたない。
「お前は無事なのか?」
「うん。何も危害は加えられてない。前にいたところだから分かるし心配はいらない、だけど」
「そっか。なら良かった」
 大輔が安堵したような声をだす。
「良くないよ」
 文句がぽろっと出た。何がいいんだよと思う。声は近いのにその存在は遠い。飛行機や電車を使っても行けないところだ。
「この数時間、お前が痛い思いや苦しい思いをしてやしないか心配だったんだぞ。そんなこと言うな。俺なんかいつだって役に立たないけど、そっちには香もい ないんだ。何かムチャなことしないか気が気じゃなかった。声を聞いて安心したよ」
「何ができるのさ」
 暗闇に声が響く。こんなことを言いたいわけじゃないのに、口から出るのは文句ばかりだった。
「お前のすることは俺には予想できない。だから、怖いんだ。でも、お前のやることは必ず良い結果がついてくるっていうのも分ってる。だからいつだって好き なようにやらせてるだろ? だけど、今回は遠すぎる」
「うん」
 陸は涙が零れそうになった。遠すぎる。
「装置を持っていかれちゃったってことは、どこかにあることはあるんだろ?」
「うん」
「それは探し出せないのか?」
「うーん。僕が元の世界に帰ろうなんて考えなくなったら置いてある場所に連れていってくれるって。そこには他にも色んな装置があるから、真似事でもする研 究の材料になるかもしれないって言われた」
「そうか。じゃあ、望みを捨てることはないんだな」
「でも、いつになるか分からないよ」
 それはマキの気持ちの問題だ。そう、いつになるか分からない。更に、いつ戻れるかはもっと分らない。
 しばらく沈黙が流れた。
 陸はじっと大輔の答えを待った。
 どのくらい時間が経ったのか、大輔がゆっくりと息を吐くのが聞えた。

「陸、俺は先のことを約束するのが苦手だ。惚れた女に結婚の約束どころか次に会う約束さえなかなかできなかった。陸お前にも先のことなんて何も言ってやれ てない」
「僕とできる約束なんてないじゃん。今まで通り一緒にいられればそれでいいんだ、僕は」
 こんな時に早紀のことは聞きたくなかったなと思い陸は話しを切った。
「まあ、聞けよ。そんな俺はいつになるかわからないことを何と言ったらいいかは分らない。嘘だけはつきたくない。明日のことだって正直約束するのは嫌なん だ」
「うん」
 例えは悪いにしてもそれだけ大きいことだと言いたかったのだろうと思う。軽はずみなことは絶対に言わない。だから、口にしたことは絶対だ。
「俺はお前との生活が好きだったしこのままずっといたいと思っていた。いや、ずっと一緒だと思っていた。それを守るために俺ができることならなんでもす る。だからと言って、お前が辛い思いをするのは嫌なんだ」
「うん」
「戻ってきて欲しいのはもちろんだが、絶対無理はしないで欲しいし、もし、お前の幸せがそこにあるなら俺は喜んで身を引く」
「ちょっと待ってよ。僕の幸せは今だって先にだって大輔の傍にしかないよ!」
 陸が断言すると大輔の笑い声が聞えた。
「そんな台詞俺には一生言えないな」
「分かってるよ。大輔は言葉なんかじゃなくてもっと違うことでくれるから」
 それは物だったり、しぐさだったり、態度だったり。最初は物足りなく思うこともあったけど、後になってちゃんと分かる。
「それはどうか分らないが、もし、陸が戻ってきてくれたら、俺はお前に「おかえり」って言う。それだけは約束する」
 それだけ? って聞こうとして陸はやめた。
「うん」
  それが大輔の精一杯なんだろうと思う。家に帰った時大輔がいたらかけてくれる言葉だから、それは、気持ちは今と変わらないと言ってくれているのかなと思 う。いくらでも言い様はあると思うし、言葉なんてすぐに消えてしまうものだからそんなに仰々しくかんがえなくてもいいと思うのに、そんな風にしか言えない から早紀さんに愛想尽かされちゃったんだよと思う。すごく大輔らしい言葉だった気がして、陸は堅くなっていた心が緩んだのを感じた。
「ノインはどうしてる?」
 できればアドバイスとかしてくれたら、同じものを作れるかもしれない。
「疲れたみたいで、部屋に戻ってきて寝てるよ。お前のベッドを使ったよ」
「うん。いいよ。僕のものでよければ、何でも使っていいよ。あのさ……」
  ノインはそこで自分のように生活していくのだろう。きっと違うやつだなんて気づく人はいない。ノインはどう思っているのか聞いて欲しいと思ったけれど陸は 言葉がでなかった。デールがこちらに戻ってきたことでノインが思い描いたこととは違うはずだ。確かに疲れたのかもしれないけれど、寝ちゃえるものなの?  と思う。
「陸?」
 大輔が呼んでくる。
「あ、落ち着いてからでいいんだけど、僕に同じものが作れないかなあと思って、ノインに教えてもらえると助かるんだけど」
 マキに諦めたと思わせるためにも何か始めなきゃいけないと思う。どうせなら少しでも望みがあることにしたい。
「できるのか?」
「分らないけど」
「分かった。起きたら聞いてみるよ」
「うん。お願い」
「いいか。ムチャなことだけはするなよ」
「うん」
「バッテリーはどれくらい残ってるんだ?」
「まだ三つある」
「そうか」
「こっちからはかけられないみたいなんだ」
 むしろ繋がることが不思議なくらいだ。
「分かった。何かわかったらまた電話するよ」
「うん」
 これで今伝えることは終わりだと思う。バッテリーを長持ちさせたいなら、すぐ切るのがいいに決まっている。でも、陸は携帯を握り締めた。このラインが切 れたらまたかかってくるまで声を聞くことができない。
「陸?」
「うん」
「俺にはお前が必要なんだよ。だから、ムチャだけはするなよ」
「うん」
 よほどそこが気になるらしい。
「分かってるのか?」
「分かった。誓うよ大輔。絶対ムチャなことはしない」
「じゃあ、今はゆっくり休め」
「うん」
「おやすみ」
「うん、おやすみ」
 陸が答えると、少しの間があって通話は切れた。
 しーんと静まりかえった部屋に少しの寂しさがあって、けれど、心の中はほんのり暖かかった。
  大輔が言ったことは絶対守ってもらおうと思うとなんだか元気になってきた。そう思ったら急にお腹がすいてきた気がして、きゅっとお腹が切なそうな音をあげ る。そういえば、昼も夜も食べてなかった。どうせ朝まで電話はないだろうし、なんだかんだできっと早くても夜だ。それまでに自分ができそうなことはしてお こうと思い陸は椅子から立ち上がった。
「とりあえず、ご飯食べよ。腹が減っては戦はできぬって言うし」
 ほんの数分前までは暗い気持ちで落ち込んでいたのが嘘みたいだと思った。とりあえず、ご飯食べてシャワーでも浴びて寝て。起きたら実験室の書類をひとつ づつ見ていこうと思う。
 暗闇をおそるおそる歩きながら笑っている自分に陸は、大輔は自分にとっては必要な存在なんだと思った。

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