「それはどうなるの?」
陸はマキに問いかけた。
まだ、諦め切れない気持ちは心の隅に残っていた。目の前にあるストレージの中に装置はある。
「廃棄処分になった研究成果は全て同じ部屋に集められている。廃棄と言いながらも実験が続けられているものもある。これも、ストレージから逃げ出さなけれ
ば、そこへ持っていく」
マキが笑顔を向けてきた。ずいぶんと余裕ような笑みに陸は思わずむっとした。
「君にはずいぶんと珍しい興味をそそりそうなものがあると思うよ。ここにいるなら、形だけでも研究を続けなければいけないから、その題材のヒントになるか
もしれないな」
マキの言葉に陸は顔が緩んだ。
「見せてくれるってこと?」
「その部屋は私が管理している。希望があるならいつでもと言いたいところだが、君が元の世界へ戻ろうなんて気持ちを捨てたら、見せてもいい」
「そんなのどうやって判断するのさ」
陸が怪訝そうな顔をすると、マキは笑った。
「君
は面白いくらいに素直だな。その顔が示してくれそうだ。装置が無くなれば、形ばかりの研究ごっこもできなくなるから、代わりのものをすぐに取り寄せよう。
しばらくは使い方を覚えるだけしかできないだろうが、聞きたいことがあれば、デールを通じて私を呼んでくれればいい。今、何か聞きたいことがあるか?」
「どうしてもだめなの? ほんの十分でもいい。一度帰りたい」
それが聞きたいことと言ったマキの意図することではなかったとしても、最後の望みだった。まだ、装置はそこにある。
「元の世界と連絡が取れたなら、戻る必要はないだろ。まさか、次元を越えて通信できるものがあるとは思わなかったが」
「ノインを説得するよ。デールが戻ってきたなら、きっとノインも帰りたいに違いないんだ」
もし、こちらへ来たのがデールではなくて大輔だったら、必死に帰ろうとは思わなかったかもしれない。だから、今きっとノインはあせっているんじゃないか
と陸は思った。
「陸、
君は装置の探索画面からノインの意志を読み取らなかったのか? 姿を消していたのは故意だろう。それは戻りたくないという意味だと理解した。ノインは外の
世界へ出たかった。君はデールに気があったんだろう? 二人の利益があったんだ。文句を言うことなんてないだろう」
「それは――」
陸は言葉につまった。それは陸にとってもう何年も前の話だ。
「も
し、君が戻ったとして、ノインと二人姿を消してしまうことだって考えられる。そんな危険を犯してまで君を信じる理由は私にはない。あともう一つ、自分は陸
だと主張はしない方がいい。実験したがっているやつがいる。君がどうしてもおもちゃになりたいというのなら仕方ないが、獣を喜ばせるだけだ。私としても
やっかいなんでね。少し考えてみると大人しくしている方がいいのだと分かるだろう。ノインは強かで賢い。心配することはない一人でも十分やっていけるさ」
「でも――」
姿を消すことができるならその言葉に誘惑されてしまうかもしれないと陸は思った。ただ、大輔の近くにいたらばれてしまうのだ。見つからないためには近づく
ことさえできなくなってしまう。そして、もし報復として大輔が連れてこられてしまったらと思うと背筋がぞっとした。こんな思いをするのは自分だけ十分だ。
「反論はないようだな」
マキは笑うと身を翻した。何もできずに装置を持ち去られていってしまうことが悔しかったけれど何も出来なかった。陸はマキの背中を見ながら唇を噛んだ。
マキが部屋を出て行った後も、陸はその場に突っ立っていた。
「陸」
後ろから声をかけられた。振り向くと、デールがすぐ後ろに立っていた。
「大人になったな。ほんの数時間前にはまだ幼さが残る顔をしていたのに」
声をかけてきたデールがそのまま頬を撫でる。大輔と同じ顔、でも、話す言葉違う。いや、そんなはっきりした違いがなくてもデールと大輔は違うのだと感じ
た。大好きだったデールが声をかけれくれているのに、陸は不満を顔から消すことができなかった。
「どうしたら戻ることができるの?」
聞いた陸にデールは暗い顔をすると目を伏せた。
「デールはマキの言う部屋には入れないの?」
同じ警備の仕事ならつながりがあっても良いのではないかと思った。
「……あの部屋はマキしか開けられない。マキ自身が鍵なんだ。マキに頼んで入れてもらうしかない」
申し訳なさそうにデールが言う。
「デールはノインを置いてきて平気なの?」
「俺は――傍にいてもノインの邪魔をするばかりだ。ノインが外の世界へ出たがっていたのは本当だし、マキが言った通りあいつならうまくやっていくだろう」
「ちょっと待って! ノインはデールに傍に居て欲しくてがんばっていたんでしょ? 一人で飛び出すつもりならもうやってたはずだよ。でも、デールと一緒に
居たいからそれも我慢してたんでしょ」
ノインにとっては、入れ替わるための装置だったはずだ。
「俺じゃなくてもいいんじゃないかな。陸はちゃんと見つけたんだね」
デールが目線をあげる。向かいあった瞳は寂しそうに見えた。
陸は何も言えなくなってしまった。デールはノインが大輔を代わりにするだろうと言っている。自分はノインからデールを奪いかけた時もあった。人は自分が同
じ立場に立たされた時にその大きさに気づくものらしい。ノインに大輔を取られるのかと思ったら、大地が揺らいだ気がした。頭の中が白くなっていって浮かん
だのは大輔の顔だった。どこからか流れてきた焦りが胸の中で広がっていく。顔も声も同じなのだ。オマケに向こうの方が出来がいいんだから、むしろ代わって
くれてよかったなんて思うかもしれない。
胸の中に不安が膨らんでいく。陸は手に持っていた携帯を開いた。大輔の声が聞きたかった。一言でいい安心できることを言って欲しかった。
開いた携帯の見慣れた画面ではアンテナが一本も立っていなかった。当たり前だ。この世界にアンテナがあるわけない。それでも、大輔と話ができたのだ。かす
かな期待を胸に、履歴から大輔へラインを繋いだ。繋がって欲しいと思ったのに呼び出し音も鳴らぬまま「しばらくお待ち下さい」と画面に文字が表示された。
しばらく待っても何も変わらない。画面の文字は表示されたままだし、アンテナは少しも動かないし、音は何も鳴らない。履歴はちゃんと残っているのだから夢
ではない。
「陸、戻ることは無理だ。廃棄が中央の決定ならば覆らないし、マキの管理下にあるものにこちらは手出しできない。身の安全を保証してくれるというのは本当
だろう。なら、大人しくしていた方がいい」
デールが穏やかな声で諭すように言う。その言葉を陸は受け入れることができなかった。
「マキは部屋に入れてくれると言った。その時まで待たなきゃいけないってこと?」
それはとても不安定な約束だった。
「だからと言って、装置を使わせてくれるわけじゃないだろう。マキは中央にすごく従順だ。決定に逆らうことはない。それに、噂だが」
デールが言いづらそうに一旦言葉を区切った。
「マ
キは不死身のロボットともサイボーグとも言われている。聞いた話だが、高いところから落ちてもかすり傷ひとつおわないらしい。例のマキが管理している部屋
も100年200年より前かららしいのに、前任者がいないんだ。あそこはずっとマキが管理していることになっている。クローンじゃないかという話もあった
が、それでは怪我をしない理由にならない。とにかく、逆らっちゃいけない相手なんだ」
誰もいないのに人の目をはばかるようにデールが小声で言った。
実験体であることをデールは知らないらしい。何百年も前の話など語り継がれるのは難しいのだろう。
ただひとつ分かったことがある。デールも助けてくれないだろうということだ。戻りたいのなら、一人で考えて一人で実行しなきゃいけない。
「陸?」
呼ばれて顔をあげると、デールの心配そうな瞳が飛び込んでくる。
「すまない。殴りたければ殴ってくれてかまわない。他のことであれば、できることならなんでもする。だから、受け入れてくれないか?」
デールが肩に手を置く。
受け入れられるわけがなかった。大輔と同じ顔を殴るなんてことできっこないし。そんなことをして気が晴れる性格じゃない。だからと言って何ができるとい
うのか。
陸は手近な椅子を引くと座った。
「分ったよ、デール。だからそんな悲しそうな顔をしないで」
まるで大輔が悲しそうな顔をしてるみたいでやりきれなくなる。
「分ってくれたのか?」
デールの表情がとたんに明るくなった。
「うん」
敵を欺くにはまず味方からということわざもある。急がば回れ――そう陸は心の中で呟いた。マキの手の中へ入っていくしか戻る道はないと陸は思った。