遠距離(陸の場合)
突然現れたデールに陸は駆け寄った。
「デール大丈夫?」
デールは手を額にあて小さな呻きをあげると、ゆっくりと顔を上げた。陸に気が付いたデールは驚きに目を見開き周りを見回し、マキに視線を止めた。
「時空散歩はどうだったかい。やっかいな事例だと思ったが思いのほか早く片付いて安心したよ」
そう言うとマキは装置から離れ、部屋の入口の方へ歩いて行った。
このまま出ていってくれればいいと陸は思った。装置は電源を落とされてはいるけれど、扱い方が分かるデールがいる。ただ元の世界へ戻れたとしても、この
装置がこのままならば、単なるいたちごっこにしかすぎない。直ぐに戻されるだろう。マキはすでに操作方法を知っている。ならば、どうすればいいのだろうと
思った。
戻った後に装置が動作しないようにする方法があればいいけれど、そんなことが簡単にできるのだろうかと思う。
デールが視線を向けてくる。
「まさか、陸か?」
デールにはノインではないことは分かったようだった。
「うん。久しぶりだね」
この世界では数時間のことかもしれない。けれど、陸には数年の時が流れていた。
「どうしてここにいるんだ」
デールはまるで非難するように言った。
「マキに連れ戻された。ノインの代わりだって。生体データがノインのものであれば構わないって。ノインとデールを戻したら、装置は廃棄処分にされるって」
その廃棄処分にされるまでに、元の世界へ戻らなければいけない。
マキは部屋の入り口近くにあった背の高いハンガーラックのようなものを引くと、こちらへ戻ってきていた。どうするつもりなのだろうと陸は思った。台車なら
ば運ぶことも考えられるけれど、置くべき台座がない。かと言って、このまま黙ってみていたら移動装置を廃棄処分にされてしまう。
「待ってよ!」
陸はデールから離れマキの前に立って両手を広げ進路を閉ざした。マキはにやっと笑うと小首を傾げた。
「待ってどうするんだ?」
「僕はノインがじゃない」
「そんなこと分かってるさ」
マキがくっくと笑う。
「元の世界へ戻してよ。僕がノインを捜してくる」
たぶん、というより確信だった。ノインは大輔のところにいる。
「捜す必要なんかないさ。それとも君はノインが自由になるなんて許せないから連れ戻してくるって言うのか? ノインが憧れていた君の世界へやっと行けたと
いうのに、それを君は邪魔したいんだ」
「そんなこと……」
陸は唇を噛んだ。
マキの言い方はずるいと思う。
「じゃ
あ、せめて、僕に別れの挨拶だけでもさせてよ。一時間でも二時間でもいい。それくらいさせてくれたっていいでしょう? どうせ連れ戻すのなんて一瞬なんだ
か
ら。前の時は母にすごく心配させた。無事でいることくらい伝えに言ってもいいでしょう? 心配しなくていいって言ってくるくらいの時間をもらってもいいで
しょう?」
少なくとも、大輔は心配するだろう。そういえば、今日帰りに買い物しようと思って冷蔵庫は空っぽだし。そうだ、家の鍵もかけていな
い、と陸は思った。戻ることができれば、大輔のところにノインはいるから、何かいい方法があるかもしれない。ノインの姿は映っていなかった。映らない方法
があるという
ことだ。同じ方法を使えば逃げることができるかもしれない。
「そんなことナンセンスだよ。心配だって悲しみだってほんの一時のことだ。時が忘れさせてくれるよ。それに、そんなことは私には関係ない」
はっきり言い切ったマキに、陸は次の言葉を失った。
「そんなことよりそこをどいてくれないか? これが何か分かるか? 次元の間を使ったストレージだ。あまりうるさく言うなら、君をここに放り込むよ」
「え?」
思ってもいなかった単語がでてきて、陸は固まった。
「ノインは戻ってきている記録はある。事故がおきてその存在がなくなったとしても、問題はない」
マキはあっさりと言った。
「ちょっ
と待ってよ。だって、さっき僕にこれまでの事を説明してくれた時、ノインには迂闊なことはできないって、だから手術だって必要最小のことしか行われなかっ
たって言ったよ。なのに、事故ってど
う説明するのさ。うるさいから次元の狭間に放り込んだって言うの? そんなことしたら困るのはそっちじゃないの?」
陸は強気に出た。事実はどうあれ、成り代わる人はこの世界で特別な扱いを受けている。
マキがふっと笑った。
「生身の人間ならこれからの処遇を考えて躊躇することもあるかもしれなないが、私には関係ない。私に処罰など与えられる者はいない。大切な実験体だから
ね。君よりもずっと私の方が立場は上なんだよ、分かるか?」
笑いを崩さないマキの目に、陸はぞくっとした。
「む
しろ、君達は誰の手に届かないところへ隔離されるのならそれで構わないんだ。ここでも次元の狭間でも隔離されてるってことは同じだ。ただ、次元の狭間で人
が生きていられるのかってことは分からないけどね。入り込んだら自力で戻ることも不可能だろう。それを理解した上で、私に歯向かうのか?」
続けられた言葉に、陸は何も返すことはできなかった。
突然、聞きなれたモーター音が耳に飛び込んできた。マナーモードにした時の携帯の受信音だ。懐かしくも思えた音に、そういえば、自分の手の中にあったはず
の携
帯が消えたことを思い出した。たぶん行き先はここだ。まさか違うだろうとは思いながら、陸は辺りを見回した。
「なんだ、この音は?」
マキが不思議そうな声を出し、デールはまだ戸惑った表情を浮かべていた。
移動装置に近い机の上に携帯があることに気が付いて陸が手を伸ばすと、相手先を表示する窓には大輔の文字があった。
陸は急いで携帯を開いた。
「もしもし?」
まさか、ここに大輔からの通信があるとは思えなかった。それを言うなら、受信があること自体不思議なことだ。
「陸か?」
突然呼びかけてきて、その後安堵のような溜息が聞えた。確かに大輔の声だった。ここで大輔の声が聞けるとは思っていなかった。目頭が熱くなっていくの
を、陸はぐっと押し留めた。泣いてる場合じゃない。
「声が聞けるなんて思えなかった。すぐ傍にノインがいるでしょう? デールはついさっき帰ってきたよ」
何から話せばいいのだろうと思いながら、言葉は口をついて出てくる。
「なんで知ってるいるんだ」
大輔の驚いた声が聞えてくる。
「え、帰ってきた?」
戸惑うような声が続いた。大輔には今の状況が伝わったみたいだった。
「ごめんね。こんなことに巻き込みたくはなかったけど、僕にノインの代わりになれって言うんだ。突然のことで、ちょうど家を出ようとしてた時で、家の鍵も
かけてない。今日買い物に行こうと思っていたから、冷蔵庫もからっぽで……」
何を言っておかなきゃいけないんだろうと、陸は言葉を捜していた。
「何言ってるんだ。すぐに帰ってこい!」
大輔の強い言葉が返ってくる。
「ノインとデールが揃ったら、使われた移動装置は廃棄するって、さっき電源が落とされた。帰りたいけど……」
あまりうるさいと次元に狭間に放り込むと言われたら、抵抗もできない。
「今すぐ帰りたいけど、それは少し無理みたいだ。でも、絶対帰るから、だから、それまでノインをお願い。彼は怪我をしてるはずなんだ」
今の状況で帰るのは難しい。けれど、大輔の声を聞いたら泣き言は言いたくなかった。陸は自分に言い聞かせるように誓うように言葉にした。
「お前は大丈夫なのか?」
「うん。危害は加えないって。勝手知ったる場所だし、僕のことは心配いらない。それより、まさか、携帯が通じるなんて思わなかった。大輔と話ができて良
かった」
さっきのマキの様子では、少しの時間の猶予ももらえないだろう。とりあえず、今の状況を伝えることができて陸はほっとした。
「こっちのことは心配するな。俺にできることがあるなら何でも言ってくれ。待ってるから、必ず、必ず、帰ってこいよ」
「うん。とりあえず、装置を持っていかれないようになんとか止めなきゃ。また連絡する」
もう一声言おうと思ったけれど、陸は携帯を切った。マキがストレージと言ったものを装置に横付けして、手袋をつけていた。この部屋から持ち出されてし
まったら、捜しにいくことさえ自由にできない。
「少
し時間をくれることはできない? 三時間、ううん、一時間でもいい。ノインが戻ってきた方がいいでしょう? ノインを説得するよ。できなかったら僕が戻っ
てくる。装置の動かし方さえ分かれば、連れ戻すことなんて一瞬でしょう? 僕たちは逃れることはできない。その時は、もう文句なんて言わない。この世界で
生きていくことにする。だから、少し時間が欲しい」
デールがこちらへ戻ってきているならノインも戻りたいと思うのではないかと思った。そう、一人で行くつもりなら、とっくに実行していたはずだ。
マキは何も答えずに、持ちやすいようにか装置の向きを変えていた。
「僕はもともと関係ないんだ。少しくらい譲ってくれてもいいでしょう?」
装置を手にしよとしたマキに陸は近寄った。
突然マキが陸に向いた。
「私に触らない方がいい。ストレージにもだ。装置を放り投げて壊すことなんて可能だし、ストレージは非常にデリケートなものだから、振動や衝撃を与える
と、時空間へ吸い込まれかねない」
「少し時間が欲しいって言っているんだ」
もう少しでマキに触れられる距離で陸は言った。マキならば、本気で装置を壊すかもしれないと思った。これ以上は近づけない。もともと力では勝てないだろう
けど、何もできずにただ見ているだけはもどかしかった。陸は手を下ろし手に持っていた携帯を握りこんだ。大輔ならこんな時どうするだろうと思う。どうすれ
ばいいのだろうと思う。マキが許してくれそうな理由は浮かばない。
「その必要はない」
マキが冷たく言い放つ。
「僕が時間が欲しいんだ」
伝わらないことにいらいらする。自分は関係ないのに、なんでこんなことになってるんだろうと思う。
無視するようにマキは装置を腕に抱えた。付けている手袋は重力を軽減するものだのだろうと思う。マキが言っていた通りおもいっきり叩きつけることも可能
なのだろう。
「お願いだよ」
言葉は段々と弱くなる。
目の前にあるのに触れられない。取り戻すこともできない。自分が何をしたっていうのか、このままずっとこの部屋から出ることはできないのかもしれないと
思ったら、陸は背筋がぞくっとした。
マキは軽々と何の躊躇いもなく装置をストレージの中へ放り込んだ。デリケートと言いながら、ずいぶんぞんざいな扱いだと思う。もう一つの受け皿も楽々と
放り込む。
言葉は通じなかった。気持ちも通じなかった。
全てが終わったことを陸は感じた。