900年ってどれくらいの時間なんだろう。
陸は頭の中で歴史の年表を思い浮かべた。確か十字軍が遠征していた頃だし、日本じゃ平安だ。あまりにも遠くて御伽噺の世界のようだ。
「信じたのか?」
静まり返った部屋にマキの声が響いた。
「騙したの?」
それは良いことではないのに、陸はなぜかほっとした。自分とは違う世界の人間ではあっても、あまり違っては欲しくない。
「嘘だとは言っていない。ただ、新鮮な反応だったな。ほぼみんなと言っていいほど、最初は唖然とした顔をするが次の瞬間笑いだし嘘だと言う。そして、それ
が真実だと分かるとまるでバケモノを見るような目になる」
「だって、そう簡単には信じられないことだよ」
この世界だから、あるかもしれないと思ってしまった。けれど、自分が今までいた世界で聞いたなら信じることはなかっただろうと思う。そう、マキの言った
通りの反応だったかもしれない。
「理屈はいたって簡単だ。細胞単位で強化膜で覆っている。覆われた時点からその状態を保持し続ける。成長もしなければ劣化もしない」
「ずっと?」
それは愚問だったかもしれないと言葉に出した瞬間に思った。目の前にその人がいるのだから。
「今は実験段階だ。その膜の劣化により保存状態は変わるのだろうが、今のところ変化は見られない」
「すごいね」
陸は溜息がでた。
ということは900年前に既に、その技術が存在したということだ。
姿形は変わらない。町の様子も、この実験室だって、大学のそれと大して変わらない。なのに、聞く話は次元が違う。違いすぎて現実味がなかった。
「本当にそう思うのか?」
マキが怪訝そうな顔をする。
「うん。どうして? ホントにすごい発明だと思うよ」
けなすやつがいるというなら、その理由を聞いてみたい。
「この発明には欠点があって、外的要因によって覆っている膜を傷つけることができない。すなわち、どんな方法によっても死に至らしめることができないん
だ」
「え? どうしてそれが欠点になるの? むしろ完璧ってことじゃないの?」
発明としては申し分ないだろう。そんな膜があるのなら、応用すれば色んなことに使えそうだ。
「世の中、善人ばかりじゃない。悪人の手に渡ってしまったら取り返しのつかないことになる。優れたものほど使うやつを選ぶんだ。この発明は廃棄処分になっ
た。私が最初で最後だ」
「え……」
陸は言葉を失った。
確かにマキの言う通りだとは思う。けれど、ただ一人マキはその重荷を背負って生きていかなければならないのだと思った。永遠に――。
言葉がでなくなった陸を見てマキは笑った。
「お
前みたいなやつに出会えて、生きていた甲斐はあったかもしれないな。話が横道にそれてしまったが、元にもどそう。逃げてしまったノインを呼び戻し、その
後、ノインにデールを呼び戻してもらう。そして、この実験設備は危険だと評価されたために廃棄される。これは中央の決定であり、くつがえることはない」
「ちょ、ちょっと待ってよ。僕はノインじゃない。デールを呼び戻すことなんてできない。第一、ノイン達がこの装置を使ったかどうかだって分からないじゃな
いか」
例えば、隙を見て自分で帰れたとして、また呼び戻されてしまったら意味がない。ノイン達の逃走と自分は無関係だと、まず分かってもらわなければいけな
い。
「大丈夫だ。操作方法は教える」
「いや、だから、なんで、ノイン達がこの装置を使ったって決め付けるのさ」
マキはここは譲らないみたいだ。だけど、譲ってもらわないと困る。
「さっきも言っただろう? この建物を出た形跡がない。そして、この部屋を出た形跡もない。考えられるのはこの装置だけだ」
「でも、どうやって操作するのさ。リモコンでもあるって言うの?」
もしかしてと、ほんの少し思った。けれど、この装置を残したままなら、また連れ戻される可能性はある。現にそうなってるわけだし。
「装置が起動するまでにタイムラグがある。それを利用すれば十分可能だ。まあ、そんなにぐずぐず言うなら試してみればいい。デールのデータが届いたよう
だ」
マキが席を立った。
「陸、操作方法を教えるよ」
マキが立つように促してくる。自力で戻るにしても操作方法は知っていた方がいい。納得しないながらも陸は立ち上がった。
テーブルの上の置かれた装置は少し大きめのパソコンのモニターのようだった。画面の下の方で赤いポイントが点滅している。これがデールのデータが届いた
ということなのかなと陸は思った。
マキはモニターの脇にセットされていたペンのようなものを取った。それで操作するらしい。
「今からやるのは操作方法の一例だ。この装置はこの研究所で開発されたもので、中には便利な機能を持ったモジュールがインストールされている。独自に使っ
たものとモジュールを組み合わせて機能を作っていく」
マキが言いながら、ペンでモニターを突付くと画面が明るくなった。アイコンが並んでいる様子はパソコンに等しい。そのアイコンの中で一番右上にあったもの
をペンで突付くと様子が変わり、画面の三分の二くらいが暗くゆらゆらと揺れだした。脇には赤と青と緑のボックスがあり、下にはボタンがいくつかあった。
「まずデールのデータを取る」
マキがペンで赤い点滅を突付く。するとそれは、小さい白い四角になった。また、それを突付くと広がって、デールの名前とデータのようなものが並んでいた。
マキはもう一度突付いて小さな四角の状態に戻すと、その小さな四角を丸で囲み、緑のボックスまで矢印を書いた。すると、小さな四角は緑のボックスへ吸い込
まれていった。
「赤いボックスには、既にノインのデータが入っている。つまり、ノインは赤で示される。デールは緑に入れたので、緑の表示になる」
マキは暗い揺れている画面を指差した。暗いけれど、よく見ると揺れる波の狭間に影のようなものが見える。なんとなく、上から自分の住んでいる部屋を写すと
こうなるのだろうかと思った。テーブルや棚の配置がそれらしく思えた。マキが揺れている画面上で右周りの矢印を書いた。すると、影が小さくなる。更に、右
周りの矢印を書くと、町並みに変わったようで、走っていくようなものは車なんだろうかと思った。今までより大きく右回りの矢印を書くと、ぼやけて物体の識
別できなくなったけれど、緑の点のようなものが表れた。
「あ」
陸は声をあげた。ノインのデータが自分になるのだから、大輔がデールになる。
マキはペンを画面につけると、ドラッグして緑の点を中央にもってきた。マズイんじゃないの?と陸は思った。
マキは陸の声など気にせず操作を続けている。今度は左周りの矢印を書く。そうすると、縮小されるようだ。
マキにとっては、デールも大輔同じだろう。大輔をこっちの世界に呼び出すなんてことできるわけがない。こんなことに巻き込みたくはない。けれど、マキは
デールがいたと言うだろう。
「えっ!」
縮小された画面を見て、陸は再び声をあげた。そして、息を飲んだ。
「デールが二人いるようだな」
マキがにやけた声をだした。
人の形だと識別できるところまで拡大された画面には緑色で示すものが二つあった。そして、その画面の中には、黒く抜き取られたようなところがあった。そこ
だけ揺れていない。考えられることは一つなのだろうと思う。マキが言う通り、ノインとデールはこの装置を使って逃げた。そして、今大輔と一緒にいる。この
抜き取られた場所との位置関係を見れば、どちらが大輔でどちらがデールか分かる気がした。ノインは何らかの手段でこの装置に映らないようにしているのだろ
う。装置を作ったノインならそれができてもおかしくはない。
「大事なところだからよく見ておくんだ」
マキが振り返る。そして、にやっと笑うと装置の方へ向き直った。
「これが受信スイッチだ」
マキが右下の一番大きなアイコンにペンで触れる。
「そして、次に触れたものが送られてくる」
言いながら、マキはデールに触れていた。
「えっ! あっ! ちょっと待って!」
陸は叫んでいた。操作方法を教えると言ったはずだ。画面には準備中のメッセージが現れる。しばらくして、受け皿には黒い幕のような光線が下から吹き上
がってきた。
「マキ! 操作方法を教えるって言ったじゃないか」
陸は泣きたくなった。形上、ノインとデールが揃うことになる。
「だから、教えただろう? ちょうど都合よく対象がいただけだ。ただ、成功するとは限らない。君の時にも一回失敗している。なかなか人は静止していてはく
れないんだよね」
マキは楽しそうだった。
ほんの数分だっただろうか。黒い幕が下にすっと引いていき、うずくまるようにデールがそこにいた。